水門帰帆 みなとのきはん

水戸八景

水戸八景 水門帰帆 みなとのきはん

水戸八景 水門帰帆 みなとのきはん

水戸八景 水門帰帆 みなとのきはん

 

水戸八景 名称 水門帰帆水門帰颿
読み方 みなとのきはん , すいもんのきはん
住所 茨城県ひたちなか市和田町2丁目6−25 / ひたちなか海浜鉄道 殿山駅
石の種類 大理石
和歌 霧のさかひしられぬ沖に真帆上て みなとの方によするつり舟
詩碑 水門の帰帆高楼に映ず
みなとのきはんこうろうにえいず
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注釈
水戸八景 ※外部サイト

 

『水戸八景』とは
水戸八景の地図 (案内板)

水戸八景の地図 (案内板)

水戸八景 は、天保四年(1833)に水戸徳川家九代藩主斉昭(烈公)が制定しました。
水戸八景は、水戸藩領内の景勝地。徳川斉昭が水戸藩領内を巡察し、景勝の地を選んで選定しました。中国の「瀟湘八景(しょうしょう はっけい)」にならったものであり、制定された景勝地には、自筆の書を刻んだ名勝碑を建てさせました。

水戸八景 和歌 8句 (徳川斉昭 書)

水戸八景 和歌 8句 (徳川斉昭 書)

 

水戸八景 水門帰帆 解説

「水門」と書いて「みなと(湊)」と読む水門帰帆の碑がある断崖からは、那珂川の河口や太平洋、那珂湊の海が一望できます。

水門帰帆の碑がある崖からは、那珂湊港、太平洋が一望できます。

水門帰帆の碑がある崖からは、那珂湊港、太平洋が一望できます。

那珂湊港は旧藩時代からつづく商港で、重要な役割を担ってきました。現在でも、那珂湊港や付近の魚市場では新鮮な魚介類を求めて、県内外から多くの買い物客、観光客が訪れます。

名勝「水門帰帆」はかつて、千石船が那珂湊の港に、ゆっくりと出入りした様子を表したものになります。

 

水戸八景 水門帰帆 地図

住所:茨城県ひたちなか市和田町2丁目6−25

 

水戸八景 水門帰帆 訪問

湊八景:和田帰帆

水戸八景「水門帰帆」の地は、湊八景「和田帰帆」としても制定されています。

湊八景 「和田帰帆」の碑。

湊八景 「和田帰帆」の碑。

 

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