青柳夜雨 あおやぎのやう

水戸八景

水戸八景 青柳夜雨 あおやぎのやう

水戸八景 青柳夜雨 あおやぎのやう

水戸八景 青柳夜雨 あおやぎのやう

 

水戸八景 名称 青柳夜雨
読み方 あおやぎのやう , あおやぎのよるのあめ
住所 水戸市青柳町上宿 / JR水郡線 常陸青柳駅
石の種類 自然石
和歌 (烈公) ・夜の雨に舟を浮かべて青柳の 木の間を渡る風の涼しさ
・夜さめに小舟くたせは夏陰の 柳をわたる風の涼しさ
詩碑 雨夜更に遊ぶ青柳の頭
関連リンク #日立風流物と日製の桜18 Twitterによる更新
注釈 ※水戸八景碑の「夜」の文字は、古典文字が使用されている。
青柳の夜雨

 

『水戸八景』とは
水戸八景の地図 (案内板)

水戸八景の地図 (案内板)

水戸八景 は、天保四年(1833)に水戸徳川家九代藩主斉昭(烈公)が制定しました。
水戸八景は、水戸藩領内の景勝地。徳川斉昭が水戸藩領内を巡察し、景勝の地を選んで選定しました。中国の「瀟湘八景(しょうしょう はっけい)」にならったものであり、制定された景勝地には、自筆の書を刻んだ名勝碑を建てさせました。

水戸八景 和歌 8句 (徳川斉昭 書)

水戸八景 和歌 8句 (徳川斉昭 書)

 

水戸八景 青柳夜雨 解説

水戸市街地から国道349号を北上し、那珂川に掛る万代橋を渡り終えた右手に「青柳夜雨」の名勝碑があります。遠く栃木県から東南方面へ下りてきた那珂川も、ここ水戸の地で太平洋に到着します。

那珂川に万代橋が架かるその昔、那珂川を渡るには渡し舟を利用しました。「青柳の渡し跡」が、碑の東手に存在します。

靑柳の夜雨の碑から那珂川を越して水戸城三の丸方面を眺めると、台地が高くそびえます。那珂川は水戸城の要害であり、水戸城から見て北東の要害は那珂川、南の要害は千波湖。水戸城は、水に守られた城であったことがうかがえます。

ここ青柳地区では那珂川で鮭の「留め網漁」が行なわれていました。那珂川の川幅に網を張り、遡上してくる鮭を網に当て、鮭が戻ろうとするところを竹竿をつけた網ですくい取る漁法です。獲れた鮭は硬質に献上される習わしがありました。

青柳夜雨の碑がある場所には柳の木が今もあり、風が静かに柳の葉を揺らします。

名勝 水戸八景 靑柳夜雨。〔茨城県水戸市柳町上宿〕

名勝 水戸八景 靑柳夜雨。〔茨城県水戸市柳町上宿〕

 

水戸市街地から万代橋を渡った先に碑があります。

水戸市街地から万代橋を渡った先に碑があります。

水戸八景「靑柳夜雨」の案内板。

水戸八景「靑柳夜雨」の案内板。

 

「靑柳夜雨」の説明
水戸八景「靑柳夜雨」の碑は、台石が用いられていない。

水戸八景「靑柳夜雨」の碑は、台石が用いられていない。

この碑は風致をそこなわないように台石は用いず、ただ土中に盤石を据え、この中盤をくりぬいて碑を安定させている。しかしこれらの碑はみだりに加工せずに自然の味わいを保たせていて、周囲の環境と一体となるように配慮されている。これも景色の一つと見立てられたものである。

 

水戸八景 青柳夜雨 地図

住所:茨城県水戸市青柳町上宿

 

水戸八景 青柳夜雨 訪問

 

いばらきだいすき セカンドシーズン

Powered by Studio Ibaraki Daisuki co.Ltd,
… #水戸市ID