水戸八景 山寺晩鐘 やまでらのばんしょう
水戸八景 名称 | 山寺晩鐘 |
読み方 | やまでらのばんしょう |
住所 | 茨城県常陸太田市稲木町1699 (常陸太田市 西山研修所 敷地内)/ JR水郡線 常陸太田駅 |
石の種類 | 寒水石(大理石) |
和歌 (烈公) | つくつくと聞くにつけても山寺の 霜夜の鐘の音そ淋しき |
詩碑 | 山寺の晩鐘幽壑(ゆうがく)に響く |
関連リンク | 自転車旅/常陸太田と奥久慈ロード18(2日目)~常陸太田から安寺持方、棚倉_181124 #常陸太田と奥久慈ロード18 Twitterによる更新 |
注釈 | |
山寺の晩鐘 |
水戸八景 は、天保四年(1833)に水戸徳川家九代藩主斉昭(烈公)が制定しました。
水戸八景は、水戸藩領内の景勝地。徳川斉昭が水戸藩領内を巡察し、景勝の地を選んで選定しました。中国の「瀟湘八景(しょうしょう はっけい)」にならったものであり、制定された景勝地には、自筆の書を刻んだ名勝碑を建てさせました。
水戸八景 山寺晩鐘 解説
常陸太田市市街地が形成される大地は「鯨ヶ丘」の名称が付き、かつて常陸国を治めていた佐竹氏の居住太田城(舞鶴城、佐竹城)があった場所です。
この鯨ヶ丘の西手に台地があり、常陸太田市立西山研修所、県立太田西山高校、久昌寺、西山公園などがあります。
「山寺晩鐘」碑がある西山研修所の地にはかつて、旧久昌寺の三昧堂檀林(僧侶の学校)がありました。水戸藩二代藩主徳川光圀が、天和03年(1683)に檀林を開いてから天保14年(1843)に廃されるまでの160年間、全国から学僧が集まり、最盛期には数千人の学僧が修行に励んだと言われています。
当時、周囲の寺寺が打ち出す鐘の音を松籟(しょうらい)と共に聞き、「山寺の晩鐘 幽学に響き」と詩に詠みました。
水戸八景 山寺晩鐘 地図
住所:茨城県常陸太田市稲木町1699 (常陸太田市 西山研修所 敷地内)
水戸八景 山寺晩鐘 訪問
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— 中国語と日本語でつぶやきます (@tabi_koujin) November 24, 2018
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