茨城百景 龍神峡と安寺持方
茨城百景 名称 | 龍神峡と安寺持方 |
読み方 | りゅうじんきょうとあでらもちかた |
包含風景 | 龍井城址,亀ケ淵鉱泉,龍ケ淵,龍ケ馬場,武生神社,白木山,籠岩山 |
地域 | 茨城県常陸太田市 (旧 水府村), JR水郡線 常陸太田駅 (バスで40分) |
碑の現存 | 現存する |
実際の碑への記載 | 龍神峡と安寺持方 |
説明 | 本来の「竜神峡」は、昭和54年の竜神ダム建設に伴い、ダムの下に眠る。 |
関連リンク | ・初秋の竜神峡/竜神大吊橋~ベタな茨城紅葉の旅20(初日) 201025・竜神峡大吊橋 鯉のぼりと亀ヶ淵 050425 ※外部サイトです #常陸太田と奥久慈ロード18 181125 ※Twitterによる更新 #常陸太田の旅17 181124 ※Twitterによる更新 |
注釈 | 竜神峡と安寺持方. 竜神峡 |
茨城百景 龍神峡 / 竜神峡
常陸太田市の茨城百景に「竜神峡」があります。多くの人は、竜神峡に架かる「竜神大吊橋」からの眺めを見て、茨城百景であると認識します。
しかし、竜神峡の大吊り橋は、平成06年(1994)に完成した構造物です。政治家の梶山静六氏の労によるものです。茨城百景は、昭和25年(1950)に制定されました。茨城百景が制定された昭和25年当時は、竜神峡に大吊り橋はありませんでした。
竜神ダムは竜神渓谷、山田川支流の竜神川を堰き止め、昭和54年(1979)に完成しました。かつてこの地には村があり、渓谷美を楽しめたと言います。その姿、ダムの水の下に沈んでいる光景が、本当の茨城百景竜神峡なのです。
1950年/昭和25年 竜神峡が茨城百景に制定される
1979年/昭和54年 竜神ダムが完成し、本来の竜神峡はダムに沈む
1994年/平成06年 竜神大吊橋が完成する
茨城百景 安寺持方
茨城百景 包含風景 龍井城址
〔誠意調査中〕
龍井城址(=竜がい城)は、竜神ダムに向かう車道右手側に階段があり、その階段からアクセスできる。との情報をいただきました。タイミングを見て、tryしてみたいと思います。
(20年11月吉日記載)
茨城百景 包含風景 亀ケ淵鉱泉
県道33号から竜神ダムを横目に、竜神峡沿いの徒歩自転車道を4キロ西へ進みますと、亀が淵〔茨城県常陸太田市下高倉〕があります。竜神峡の代表的な淵の一つであり、水が流れおち、つぼ状になっています。
茨城百景 包含風景 龍ケ淵
〔調査中〕
茨城百景 包含風景 龍ケ馬場
〔調査中〕
茨城百景 包含風景 武生神社
竜神大吊橋から北へ2キロの山間部にあるのが、武生神社〔茨城県常陸太田市下高倉町〕。武生は「たきゅう」と読みます。「滝生」と書かれた時代もありました。
神武天皇の頃、大戸通命(おおとのじのみこと)が社の西北の山頂に降臨され、大宝元年(701)役小角(えんのおづぬ)がこの地に遷したと伝えられています。大同元年(806)坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際、武運長久を祈願して本殿を修築し、「やぶさめ」の神事を奉奏したといいます。
現在の本殿(市指定文化財)は天明06年(1786)の再建です。仁王像は正徳06年(1716)に完成したとされ、作者は大仏師雲恵であると伝えられています。
太郎杉
推定樹齢約800年、高さ35メートル、周囲約5メートル。同年代の巨杉の縁木であったため、横枝がなく、反対側に大きく突き出しています。市天然記念物。
茨城百景 包含風景 白木山
〔調査中〕
茨城百景 包含風景 籠岩山 / 篭岩山
水郡線西金駅から東へ4キロの位置にあるのが、籠岩山/篭岩山(かごいわさん)〔茨城県久慈郡大子町北富田〕。標高501.4メートルの山を「篭岩山」とする見方と、カゴの目状に開いた岩峰を「篭岩」と見る見方があります。
竜がい城=武生城跡は過去に途中まで遊歩道を整備したらしく今も手すり等の残骸があります。ダムに登っていく車道の途中、みぎてに石の階段かあり、そこを登ると墓地があり、その上に登っていく荒れた道があります。
途中竜神大吊り橋を見下ろせる場所などもあります。
城跡付近は平になっており、ここの別名である高倉山の山名板がついてます。そのまま尾根づたいに北西にすすむと竜神ふるさと村に抜けられます。
このへんは私有地である可能性もある気がするしよく分からない
竜ヶ馬場等はダムより下流にあったらしいので一度歩きましたが(ダムまでは左岸にうちすれられた舗装路がある)特定できるようなものはなかったです。さいきん竜神川と山田川の合流点を工事し橋が新しくなってます。
てすと様
コメントいただきまして、ありがとうございます。
武生城跡への道の情報、興味深いです。その先の亀ヶ渕に向かう道中にある階段で、竜神ふるさと村に上っていったことがありますが、武生城跡はいずれ可能な範囲で確認してみたいと思いました。