茨城百景 助川城址と海と山の公園巡り

茨城百景_助川城址と海と山の公園巡り
茨城百景 名称 | 助川城址と海と山の公園巡り |
読み方 | すけがわじょうしとうみとやまのこうえんめぐり |
包含風景 | 大平山,神峯公園,海浜公園 |
地域 | 日立市 |
碑の現存 | 現存する |
実際の碑への記載 | 助川城址と海と山の公園巡り |
説明 | |
関連リンク | |
注釈 | |
茨城百景 助川海防城址
JR常磐線 日立駅から歩き、日立市立助川小学校、日立総合病院裏手の高鈴山を登っていくと、助川城址公園があります。ここは幕末に太平洋沿岸に現れる異国船に備える為に、徳川斉昭公が天保07年(1836)に築城し、山野辺良観を海防惣司に任命し、居住させ、沿岸の防備に当たらせました。

助川海防城跡
徳川斉昭公が異国船の見張りをさせる為に、山野辺良観を防備に当たらせた場所。日立市街地が良く見渡せる。
「武家諸法度」の規定で水戸城以外の新規の城郭建設は認められていなかった為、佐竹古城跡の修復と称して幕府に建築許可を申請しました。
後年、元治元年(1864)水戸藩の党争の際、田中愿蔵(たなか・げんぞう)らの襲撃に遭い、消失しました。
山野辺良観の鳩石
この海防城跡には、かつてここにお城があった事を物語る跡がたくさんあり、山野辺良観が可愛がっていた鳩が死んでしまった事を悲しみ、石に彫ったとされる「鳩石」も健在です。

鳩石
山野辺良観が溺愛していた鳩が亡くなってしまい、良観自ら石に鳩を刻んだとされる。Twitterのハトに似ている。
茨城百景 海と山の公園巡り ~日立市は、海の方、山の方
日立市は5分の3が「山」で、残りの5分の2が「平地」であり、海に面している町です。市民は「海の方」、「山の方」という言い方を良くしています。

神峰山から日立市街地を眺む
日立の山の方から、海の方を眺める。
海に関しては小貝浜、川尻、河原子、水木、久慈浜などがあり、山に関しては神峰神社を筆頭に、かみね動物園、かみねゆうえんち、登山では神峰山、御岩山、高鈴山など、子どもから大人まで楽しむことができます。
茨城百景 包含風景 大平山
(誠意調査中)
天狗党の乱(元治元年)の際、天狗党が集まった栃木の山が「大平山」〔栃木県栃木市〕。
茨城百景 包含風景 神峯公園(かみね公園)

かみね遊園地
かみね動物園と併設され、親子連れで賑わいます。
茨城百景 包含風景 海浜公園
(誠意調査中)
日立さくらまつり 日立風流物、日立さくらロードレース
春は日立のさくらまつり、日立風流物、日立さくらロードレースで町全体が活気づきます。

日立風流物(ひたちふうりゅうもの)
桜の咲く時期、日立さくらまつりにて、日立風流物が行なわれます。
日立風流物~7年に一度の神峰神社大祭礼は、なぜ大雄院通りで行われるのか_190630