『水戸八景』とは
『水戸八景』(みとはっけい)は、天保四年(1833)に水戸徳川家九代藩主斉昭(烈公)が制定しました。水戸八景は、水戸藩領内の景勝地。斉昭が領内を巡察し、景勝の地を選んで選定しました。中国の「瀟湘八景(しょうしょう はっけい)」にならったものであり、水戸八景に選ばれた場所には自筆の書を刻んだ名勝碑を建てさせました。
水戸藩子弟たちの鍛錬目的
これら8つの碑を結んで一巡すると、約30里、およそ100キロの道のりです。水戸藩内の子弟への自然鑑賞と健脚鍛錬を図るため、徒歩でこの八景巡りをすることが推奨されました。『水戸名勝記』には、「当年八景を巡りて健脚を誇らんとするの藩士は、伴侶を結び行程を整へ、天明に先ちて草履を踏み、那珂川を渡って先づ 青柳ー太田ー山寺ー村松ー水門ー岩船ー広浦ー仙湖」と記されています。
また、のちに斉昭が磯前町に訪れた際に、壮大な景観に感動したことから、「観濤所(かんとうじょ)」として水戸八景としては9つめの番外景勝地として碑を建てさせました。
水戸八景に選ばれた場所は現在の、水戸市、常陸太田市、東海村、ひたちなか市、大洗町、茨城町となります。
「瀟湘(しょうしょう)」とは、中国長江中流域にある洞庭湖に注ぎ込む湘江(しょうこう)(湘水)と、その支流である瀟水(しょうすい)のふたつの河川を指します。河川が合流する一体と洞庭湖周辺には水の景色が広がりました。11世紀後半に活躍した宋代の画家宗迪(そうてき)が8つの景色を選んだと伝えられています。
・瀟湘夜雨(しょうしょうやう) ・洞庭秋月(どうていしゅうげつ) ・煙寺晩鐘(えんじばんしょう) ・遠浦帰帆(えんぽきはん) ・山市晴嵐(さんしせいらん) ・漁村夕照(ぎょそんせきしょう) ・江天暮雪(こうてんぼせつ) ・平沙落雁(平沙落雁)
瀟湘八景は、鎌倉時代後半に日本にもたらされました。禅僧が八景詩をつくるようになり、15世紀には公家や大名にも広がりました。こうした流れを汲み、現在各地に「○○八景」と呼ばれる景勝地が選定されるようになりました。瀟湘八景は、現在の「○○八景」の源流になるのです。
「水戸八景」一覧
1:青柳夜雨 あおやぎのやう
2:山寺晩鐘 やまでらのばんしょう
3:太田落雁 おおたのらくがん
4:村松晴嵐 むらまつのせいらん
5:水門帰帆 みなとのきはん
6:巌船夕照 いわふねのせきしょう
7:広浦秋月 ひろうらのしゅうげつ
8:僊湖暮雪 せんこのぼせつ
9(番外編):観濤所