水戸八景 広浦秋月 ひろうらのしゅうげつ
水戸八景 名称 | 広浦秋月 |
読み方 | ひろうらのしゅうげつ , ひろうらのあきのつき , ひろうらのあきつき |
住所 | 茨城県東茨城郡茨城町下石崎1651−6 / 大洗鹿島線 大洗駅 |
石の種類 | *** |
和歌 | 大空のかけをうつしてひろ浦の なみ間をわたる月そさやけき |
詩碑 | 月色玲瓏たり広浦の秋 げっしょくれいろうたりひろうらのあき |
関連リンク | #茨城県央の自転車旅19 190112-14 Twitterによる更新 |
注釈 | 広浦の秋月 , 廣浦秋月 |
水戸八景 ※外部サイト |
水戸八景 は、天保四年(1833)に水戸徳川家九代藩主斉昭(烈公)が制定しました。
水戸八景は、水戸藩領内の景勝地。徳川斉昭が水戸藩領内を巡察し、景勝の地を選んで選定しました。中国の「瀟湘八景(しょうしょう はっけい)」にならったものであり、制定された景勝地には、自筆の書を刻んだ名勝碑を建てさせました。
水戸八景 広浦秋月 解説
広浦秋月碑 のある涸沼(ひぬま)は「ひるま」とも呼ばれ、「広い沼」がなまったものだと言われています。笠間市を水源とする涸沼川や大谷川が流れ込む沼で、下流涸沼川が那珂川と合流して太平洋へと通じます。満潮時には海水が逆流するため、淡水と海水が混ざり合う汽水湖となっています。
広浦は涸沼の北側、湖面に長く突き出た場所のことです。湖面に映る秋月の様子は斉昭によって「水戸八景」として広く認知されました。遠くに見える山は、筑波山。
水戸八景 広浦秋月 地図
住所:茨城県東茨城郡茨城町下石崎1651−6
水戸八景 広浦秋月 訪問
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— 中国語と日本語でつぶやきます (@tabi_koujin) January 14, 2019
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