東日本大震災から10年~あのときと、あの一週間前。震災遺構の南三陸町防災対策庁舎

東日本大震災から10年~あのときと、あの一週間前。震災遺構の南三陸町防災対策庁舎

東日本大震災から10年~あのときと、あの一週間前。震災遺構の南三陸町防災対策庁舎

2021年(令和03年)03月11日。

あの『東日本大震災』から10年が経過しました。
津波を受けた東北地域の復興はまだまだ完了しておらず、福島第一原子力発電所も問題を抱えています。

 

今から10年前の震災当日 / 03月11日

東日本大震災が発生したのは今から10年前の、2011年(平成23年)03月11日(金)14時46分でした。

俺っちは当日、東京ビッグサイト〔東京都江東区〕にいて、「ああ、もう少しで15時だな~」と震災が発生する直前の時間感覚を持っていました。
そうしたら、ぐらりぐらりとゆっくり長く東ホール全体が揺れたことを覚えています。あの揺れ方は、過去も今も、一度も体験したことのない揺れでした。

東日本大震災 地震発生中(2011年03月11日14:50頃)

東日本大震災 地震発生中(2011年03月11日14:50頃)

震源地が宮城県沖だったため、俺っちがそのときいた東京ビッグサイトでは津波の被害を受けませんでした。しかし、もし震源がもう少し関東寄りだったとしたら、埋め立て地の東京ビッグサイトは津波にのみ込まれていたと思います。
(被災された方がおられるので、表現のしかたが難しいですが)俺っちにとっては「不幸中の・・・」と言うことになります。

この日は展示会は中止扱いとなり、解散となります。

地震のためビッグサイトから駐車場に出ると、火災が発生していました。

地震のためビッグサイトから駐車場に出ると、火災が発生していました。

ビッグサイトから豊洲まで移動する際、「このときが分かるもの」を残しておこうと、都知事選の看板を撮影しました。

ビッグサイトから豊洲まで移動する際、「このときが分かるもの」を残しておこうと、都知事選の看板を撮影しました。

交通は麻痺し、地下鉄大江戸線がなんとか利用できたため、台東区の事務所まで戻り、床に段ボールを敷いて一夜を明かしました。

 

震災一週間前の「水戸の梅まつり」/ 03月05,06日

また、震災の03月11日から約1週間前の、03月05,06日には、水戸偕楽園〔茨城県水戸市常磐町〕で開催されていた『水戸の梅まつり』に訪問していました。

夜梅祭(2011年03月05日) / 震災一週間前

夜梅祭(2011年03月05日) / 震災一週間前

夜梅祭(2011年03月05日) / 震災一週間前

夜梅祭(2011年03月05日) / 震災一週間前

もし、水戸市内に滞在している最中に、東日本大震災が発生していたとしたなら、埼玉の自宅に帰宅できなかった可能性がありました。

水戸の梅まつり 大撮影会 (2011年03月06日)

水戸の梅まつり 大撮影会 (2011年03月06日)

 

2015年 南三陸町へ訪問した

震災から4年後の2015年(平成27年)07月、仕事で東北に出張する要件があり、その仕事明けに南三陸町へ訪問しました。

BRT 志津川駅(2015年当時)

BRT 志津川駅(2015年当時)

南三陸町訪問時のきっぷ。

南三陸町訪問時のきっぷ。

震災以降となった「南三陸町防災対策庁舎」に訪問。
このときすでに、周辺地域のかさ上げ工事は進められており、かさ上げされた土地が南三陸町庁舎を囲んでいました。

南三陸町防災対策庁舎 〔宮城県本吉郡南三陸町志津川塩入〕

南三陸町防災対策庁舎 〔宮城県本吉郡南三陸町志津川塩入〕

入口部分には塔婆(とうば)が立てられている。

入口部分には塔婆(とうば)が立てられている。

ひしゃげた非常階段の手すりフレーム。

ひしゃげた非常階段の手すりフレーム。

 

アクセス : 南三陸町防災対策庁舎

名称:南三陸町旧防災対策庁舎
住所:宮城県本吉郡南三陸町志津川塩入77
 ※2015年訪問当時のBRT志津川駅からアクセスしています

 

2016年09月にも、南三陸町に再訪しています

 

いばらきだいすき セカンドシーズン

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〔 この項おしまい 〕

 

 

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