磯原海岸の津波被害-東日本大震災から10年-
昨年令和02年春先から流行しだした「新型コロナウイルス(Covid-19)」。
「新型コロナウイルス」が発生して、ついに2年目となってしまった令和03年02月。
例年、茨城県日立市で『日立さくらまつり』がゴールデンウィークの時期に開催されます。しかし、昨年に引き続き、日立さくらまつりは「開催中止」になると報じられました。。
RT #日立さくらまつり 🌸 、2年連続で中止になったんだっぺ〜⤵️。コージンは、「中止も残念だが、風流物の文化が継承されなくなることが心配だ」って言ってたっぺヨ‼️#日立市 #日立風流物 #大雄院通り pic.twitter.com/AqoBs8BPCu
— 豆日刊茨城 ツイッター ver. (@_ibaraki_news_) February 2, 2021
『日立さくらまつり』の開催まではまだ三ヶ月ほど期間があります。
しかし、マラソン大会であったり、「日立風流物」の準備(練習)など、準備期間としては今くらい(2月)からはじまるのでしょうから、早めの決断、案内になります。
また、『東日本大震災』から今年で10年になります。
2011年(平成23年)03月11日、15時ころに発生したグラリグラリと揺れたあの地震は、体験したことのない揺れでした。(当時、俺っちは都内の東京ビッグサイトにいました)
本来であれば、東日本大震災から10年、ということで、『日立さくらまつり』も震災復興を記念したイベントになったのかもしれません。しかし、新型コロナウイルスは、「密」にならないように生活する必要があります。今は耐え忍ぶ時期なのです。
さて、その「東日本大震災」。
我が茨城県は震災当初、「被災地」として認識、認定されていないタイミングがありました。時の茨城県知事橋本昌氏が、「茨城も被災地です!」と宣言したのは記憶に新しい。
【東日本大震災】茨城も被災地です!~水戸京成ホテルのタイルを見て思うこと 190309
茨城県下において「東日本大震災」の被災跡は、未だ確認できる場所があります。
先日、磯原駅〔茨城県北茨城市磯原町〕に訪問した際、地震が発生しドキリとしましたが、あの磯原駅周辺において被災痕は数多くあります。
二つ島
磯原海岸の沖合にある二つの島、二つ島(二ツ島)。
津波の被害を受け、大きい方の島ははげ山になってしまいました。小さい方の島は削れてしまい、基本的に海面からは見づらい状態になってしまいました。
野口雨情生家
東日本大震災の津波は、野口雨情生家の麓まで押し寄せてきたと聞いています。
不幸中の・・・ではありますが、生家自体は津波そのものをかぶってはいません。
大北川
磯原駅周辺で、「被災」を視覚的に一番感じられるのが大北川だと思います。
かつての太い大北川と太平洋の光景は、沿岸のかさ増し工事により遮断されてしまいました。
東日本大震災前の大北川の風景
茨城百景 015 磯原海岸
常磐線磯原駅東口から北へ600メートルほど進んだ場所に、第二磯原陸前浜街道踏切があります。その踏切の大北川寄りのスペースに、茨城百景 015 磯原海岸がありました。
この茨城百景が設置されていた辺りは被災後、大北川沿岸のかさ増し工事の手が入ります。
その結果、茨城百景碑はさらに北側の「としまや月浜の湯」裏手の駐車場スペースに移設されることになりました。また、「子どもいきいき自然体験フィールド100選」プレートも新Ver.が併設されています。
近辺には記録碑やプレートが設置されています
2011年3月11日14時46分、三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖地震は、東北地方から関東地方にかけて、東日本に甚大な被害をもたらしました。
北茨城市でも震度6弱の強い揺れと、そして15時31分に到達した津波は、最大で6.7mを記録し、いままでに経験したことのない被害をもたらし、一瞬にして死者5名、行方不明者1名の尊い命を奪いました。
震災と津波により市内では、全壊及び半壊家屋は2,400戸を超え、自然に対していかに無力であるかを痛感させられました。
私たちは、この震災の教訓を風化させることなく後世に伝え、一人の犠牲者も出すことのないよう安全・安心なまちづくりに向けて、ひるむことなく復興してまいります。
平成24年3月11日
北茨城市長 豊田 稔
東日本大震災から10年。
もう10年が経過しましたが、まだまだその爪痕は癒えていません。
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〔 この項おしまい 〕
令和けんぽくの旅19(2日目)~大津、磯原海岸、龍子山城址、日立風流物 190503
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六角堂と二ツ島 北茨城の旅 050811 ※外部サイトです
磯原海岸 大北川と野口雨情生家 051225 ※外部サイトです