茨城百景 石塚薬師ト那珂西城址
茨城百景 名称 | 石塚薬師ト那珂西城址 |
読み方 | いしづかやくしとなかさいじょうし / なかさいじょうあと いしづかやくしとなかにしじょうし / なかにしじょうあと |
包含風景 | 宝憧院 |
地域 | 茨城県東茨城郡城里町 |
碑の現存 | 現存する |
実際の碑への記載 | 石塚薬師 那珂西城址 |
説明 | |
関連リンク | ・《廃線》茨城交通 茨城線 石塚駅 |
注釈 | 石塚薬師と那珂西城跡 |
170504 #ぐるり茨城17
161015 #茨城紅葉16
051104 御前山と那珂川大橋の鮭遡上
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茨城百景 石塚薬師 / 薬師寺
薬師寺(天台宗)〔茨城県東茨城郡城里町石塚〕は、常磐線水戸駅から国道123号を北上し、城里町役場がある市街地の一角にあります。
延暦年間に坂上田村麻呂の創建になると伝えられ、はじめは真言宗に属し、浄瑠璃寺と称しました。その後、文禄03(1594)天台宗の薬師寺となりました。
昭和32年(1957)の石塚大火により天文年間(1532-55)に建てられた寺院は焼失しましたが、本尊の木造薬師如来および両脇侍像(国重要文化財)は難を逃れ、再建されたコンクリートの本堂裏の収蔵庫に納められています。
茨城百景 那珂西城跡
常磐線水戸駅から国道123号線を北上すること13キロ。現在は宝憧院の敷地となる一帯が、那珂西城跡〔茨城県東茨城郡城里町那珂西〕になります。宝憧院への入口には、「那珂西城跡」と記した高さ1メートルほどの石碑があります。
南北朝時代の遺跡で、昭和09年、県指定史跡となります。広さは約4ヘクタールで、空堀土塁の一部が残っています。ここは那珂氏の居城がありました。那珂通辰(みちとき)の一族である道長の居城で、建武03年・延元元年(1336)北朝方の佐竹氏に攻められ、道長が自決して落城したとされています。
茨城百景 包含風景 宝憧院
宝憧院〔茨城県東茨城郡城里町那珂西〕は応永03年(1396)、上宥(じょうゆう)(智空上人/ちくうしょうにん)により開山された真言宗豊山派の寺です。
元禄09年(1696)徳川光圀が以伝僧正(いでんそうじょう)を中興開山として、この地に移しました。