茨城百景_石塚薬師那珂西城址

茨城百景_石塚薬師那珂西城址

茨城百景 名称 石塚薬師ト那珂西城址
読み方 いしづかやくしとなかさいじょうし / なかさいじょうあと
包括風景 宝憧院
地域 茨城県東茨城郡城里町
碑の現存 現存する
実際の碑への記載 石塚薬師 那珂西城址
説明
関連リンク
注釈 石塚薬師と那珂西城跡

 

石塚薬師 / 薬師寺

薬師寺〔茨城県東茨城郡城里町石塚〕

薬師寺〔茨城県東茨城郡城里町石塚〕

常磐線水戸駅から国道123号を北上し、城里町役場がある市街地の一角に、薬師寺(天台宗)〔茨城県東茨城郡城里町石塚〕はあります。

延暦年間に坂上田村麻呂の創建になると伝えられ、はじめは真言宗に属し、浄瑠璃寺と称しました。その後、文禄03(1594)天台宗の薬師寺となりました。
昭和32年(1957)の石塚大火により天文年間(1532-55)に建てられた寺院は焼失しましたが、本尊の木造薬師如来および両脇侍像(国重要文化財)は難を逃れ、再建されたコンクリートの本堂裏の収蔵庫に納められています。

 

那珂西城跡

那珂西城跡〔茨城県東茨城郡城里町那珂西〕

那珂西城跡〔茨城県東茨城郡城里町那珂西〕

常磐線水戸駅から国道123号線を北上すること13キロ。現在は宝憧院の敷地となる一帯が、那珂西城跡〔茨城県東茨城郡城里町那珂西〕になります。宝憧院への入口には、「那珂西城跡」と記した高さ1メートルほどの石碑があります。

南北朝時代の遺跡で、昭和09年、県指定史跡となります。広さは約4ヘクタールで、空堀土塁の一部が残っています。ここは那珂氏の居城がありました。那珂通辰(みちとき)の一族である道長の居城で、建武03年・延元元年(1336)北朝方の佐竹氏に攻められ、道長が自決して落城したとされています。

那珂西城跡〔茨城県東茨城郡城里町那珂西〕<br>宝憧院の敷地の那珂に、土塁や那珂西城址の碑があります。

那珂西城跡〔茨城県東茨城郡城里町那珂西〕
宝憧院の敷地の那珂に、土塁や那珂西城址の碑があります。

 

宝憧院

宝憧院〔茨城県東茨城郡城里町那珂西〕

宝憧院〔茨城県東茨城郡城里町那珂西〕

宝憧院〔茨城県東茨城郡城里町那珂西〕は応永03年(1396)、上宥(じょうゆう)(智空上人/ちくうしょうにん)により開山された真言宗豊山派の寺です。
元禄09年(1696)徳川光圀が以伝僧正(いでんそうじょう)を中興開山として、この地に移しました。

 

 

 

 

 

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