茨城百景_岡堰

茨城百景_岡堰

茨城百景 名称 岡堰
読み方 おかぜき
包括風景 三仏堂,寺田観音,水神の社,間宮林蔵の墓
地域 茨城県取手市 / つくばみらい市
碑の現存 現存する
実際の碑への記載 岡堰
説明
関連リンク
注釈
龍禅寺

 

岡堰

岡堰〔茨城県取手市岡〕

岡堰〔茨城県取手市岡〕

関東鉄道常総線 新取手駅から北へ3キロ。小貝川三大堰のひとつ岡堰(おかぜき)〔茨城県取手市岡〕があります。

小貝川の上流はもともと、小貝川と鬼怒川二つの川が現在の水海道あたりで合わさり、小貝川として牛久沼方面に流れていました。治水が安定せず、小貝川はたびたび水害を起こし、人々を苦しめていました。

関東郡代伊奈忠治(伊奈忠次の次男)は、水海道あたりで小貝川に合流していた鬼怒川を小貝川から切り離し、直接利根川に逃がすように誘導。寛永07年(1630)、小貝川に岡堰を設けました。岡堰の誕生により灌漑用水ができ、新田開発が進みました。

寛政03年(1791)、小貝川が大氾濫、岡堰も大損壊をしてしまい、田に水を引くのが困難になってしまいました。幕府の役人が困っているのを見かねて若き青年林蔵は、竹で土嚢を積む方法を教えるとうまくいったといいます。役人は林蔵の非凡さに惚れ、測量・地図作りのスペシャリストとすべく江戸に連れて行きました。のちに林蔵は北カラフトの探査で「間宮海峡」を発見。岡堰は間宮林蔵の出世の登竜門だったのです。

 

三仏堂

竜禅寺 三仏堂 〔茨城県取手市米ノ井〕

竜禅寺 三仏堂 〔茨城県取手市米ノ井〕

関東鉄道常総線 稲戸井駅から南へ300メートル。住宅地の多い取手市の中、周囲に森を残すようにして竜禅寺三仏堂〔茨城県取手市〕はあります。
三仏堂(国指定重要文化財)は延長02年(924)の創建と伝えられ、正面三間、側面三間、左右と背面に裳階(もこし)が付いています。三方に裳階が付く形式の建物は、ほかに例を見ません。木鼻や蟇股(かえるまた)の彫刻。屋根は茅葺きの寄棟造です。
釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒菩薩の三体の仏像が安置されるていることから、三仏堂と呼ばれています。

平将門が三仏堂を参詣した際に、三仏堂前の井戸から米が吹き出したことから、この地を「米ノ井」と呼ぶようになった、と言う伝説があります。

寺田観音

東漸寺 寺田観音〔茨城県取手市本郷〕

東漸寺 寺田観音〔茨城県取手市本郷〕

関東鉄道常総線 寺原駅から東へ1キロ。寺田観音とは、東漸寺(とうぜんじ)〔茨城県取手市本郷〕のこと。
東漸寺の観音堂は、元和03年(1617)に馬頭観音を安置したことに始まるとされ、現在の堂宇は寛文07年(1667)に建立されました。山門は、元禄03年(1690)の建立で、取手市内唯一の現存する仁王門です。東漸寺観音堂・山門は県指定有形文化財。

水神の社

岡堰粋人岬公園 / 水神岬〔茨城県取手市岡〕

岡堰粋人岬公園 / 水神岬〔茨城県取手市岡〕

岡村〔現在の取手市岡〕を水害から守るために水神を祭ったという水神岬。「岡堰水神岬公園」として整備されています。

 

間宮林蔵の墓

専称寺 間宮林蔵の墓〔茨城県つくばみらい市平柳〕

専称寺 間宮林蔵の墓〔茨城県つくばみらい市平柳〕

文化04年(1807)樺太探検に行く前に、「もう生きては帰れないかもしれない」と決死の思いで林蔵先生自身の手によって作られた“生前墓”。専称寺内に墓はあり、向かって右手の墓は林蔵先生の両親のお墓です。いずれのお墓も昭和30年の小貝川堤防改修時に、小貝川寄りから移設されました。

 

茨城百景碑 岡堰は移設されています

2005年10月の茨城百景碑 岡堰

2005年10月の茨城百景碑 岡堰

現在、茨城百景 岡堰の碑は、堤防上にあります。
少なくとも、2005年10月までの段階では、県道251号寄りの低いスペースに設置されていました。

 

 

 

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