茨城百景_守谷城址

茨城百景_守谷城址

茨城百景 名称 守谷城址
読み方 もりやじょうし
包括風景 平将門の遺蹟,一茶の遺跡,板戸井清滝山の景勝
地域 茨城県守谷市
碑の現存 現存する
実際の碑への記載 守谷城址
説明
関連リンク
注釈
190127 ロード取手市守谷市19
170812 守谷SA調査17
050423 小貝川 岡堰と守谷城址

 

守谷城址

守谷城址(守谷城址公園)〔茨城県守谷市本町〕

守谷城址(守谷城址公園)〔茨城県守谷市本町〕

関東鉄道常総線、つくばエクスプレス守谷駅から東へ1キロのところに、守谷城址(守谷城址公園)があります。
守谷城は守谷市と、平台山と称する縞状の台地とを合わせて呼ばれています。鎌倉時代の初期に平台山に初めて城館が構築されましたが、戦国時代になると戦闘様式等の進展に伴って、城は現在の守谷小学校周辺まで増築、移転しました。

平台山に最初に築造された城のことを「守谷本城」とも呼ばれています。この守谷本城は鎌倉時代になって、平将門の叔父にあたる平良文の子孫、相馬師常(もろつね)によって築城されたものです。師常は源頼朝の旗上げに最先かけて参陣し、頼朝の重臣として幕政に参画し、その功によって相馬郡のほかに結城、猿島、豊田(の一部)の緒郡を拝領し、さらには奥州相馬の地をも賜りましたが、守谷本城はそれら領地を統括する本城としての役割を演じたものになります。

 

平将門の遺蹟

海禅寺 七騎塚〔茨城県守谷市高野〕

海禅寺 七騎塚〔茨城県守谷市高野〕

関東鉄道常総線、つくばエクスプレス守谷駅から南へ2キロの場所に、海禅寺(かいぜんじ)〔茨城県守谷市高野〕があります。
海禅寺(臨済宗)は寛文04年(1664)、守谷一万石の領主であった堀田正俊が寄進したものと言われています。また、平将門が高野山になぞらえて創建したとも伝えられています。境内には、将門および7人の影武者の墓と称する供養塔〔七騎塚〕があります。

 

一茶の遺跡

西林寺 一茶の句碑〔茨城県守谷市本町〕

西林寺 一茶の句碑〔茨城県守谷市本町〕

関東鉄道常総線、つくばエクスプレス守谷駅から南へ600メートルにある西林寺〔茨城県守谷市本町〕は、延喜02年(902)天台座主延昌が創建し、のちに平将門が守り本尊をまつったと伝えられています。

小林一茶はこの寺の住職であった義鳳(ぎほう)(俳名:鶴老)と親交があり、しばしば西林寺に訪れています。文化07年(1810)に一茶が詠んだ「行く歳や 空の名残を 守谷まで」の句碑があります。

 

板戸井清滝山の景勝

〔誠意調査中:守谷市坂戸井の清滝寺、清滝香取神社へ訪問予定〕

 

 

 

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