茨城百景_長禅寺

茨城百景_長禅寺

茨城百景 名称 長禅寺
読み方 ちょうぜんじ
包括風景 本多作左衛門の墓
地域 茨城県取手市
碑の現存 現存する
実際の碑への記載 長禅寺
説明
関連リンク
注釈 #ロード取手市守谷市19

 

長禅寺

常磐線取手駅から東南100メートルの高台にあります。長禅寺は承平元年(931)に、平将門が勅願所として創建したと伝えられています。
創建当時は大鹿村(現在の取手競輪場近く)にあったそうですが、江戸時代初期に水戸街道が整備されて取手宿が形成されると、現在の場所に移転されました。

長禅寺 三世堂〔茨城県取手市取手〕

長禅寺 三世堂〔茨城県取手市取手〕

三世堂(県指定文化財)は、織部時平が分暦元年(1234)に平将門以来の主本尊である、十一面観音菩薩像を安置するために観音堂を建立したことに始まります。外観は二層ですが、内部は三層となっており、一層には主本尊の十一面観音菩薩像と坂東三十三ヶ所、二層には秩父三十四ヶ所、三層には西国三十三ヶ所の各観音霊場札所の本尊、合計百体の観音像が安置されています。入口から順に沿って進めば、一方通行となる「さざえ堂」洋式であり、現存するものが非常に少なく、日本最古の建物です。県内ではこの一棟だけとなっています。
三世堂の名称は、「過去現在未来の三千仏を安置している」ことに由来しています。

長禅寺は利根川に面した高台で風光明媚なこともあり、文人が多く訪れています。小林一茶や小川芋銭らの碑を見ることができます。

 

本多作左衛門の墓

本多作左衛門の墓〔茨城県取手市台宿〕

本多作左衛門の墓〔茨城県取手市台宿〕

常磐線取手駅から東へ600メートル。高台に本多作左衛門重次墳墓(ほんださくざえもんしげつぐふんぼ)〔茨城県取手市台宿〕があります。
簡潔明瞭な性格で知られる本多作左衛門は、長篠の戦いの折、万が一に備え妻に「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」と手紙を送りました。

重次は徳川家康、松平広忠、松平清康の三代に使えた武将です。剛直な性格は、豊臣秀吉の怒りを買い、小田原攻めの後、下総国井野村に蟄居を命じられ、慶長元年(1596)07月16日、68際で亡くなりこの地に埋葬されました。茨城県指定史跡。

本願寺〔取手市青柳〕が菩提寺で、重次が使用した武具や、家康からの拝領品などが補完されています。 ( #ロード取手市守谷市19

 

 

 

 

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