044 大洗と磯浜海水浴場

茨城百景 大洗と磯浜海水浴場

茨城百景_大洗と磯浜海水浴場

茨城百景_大洗と磯浜海水浴場

 

茨城百景 名称 大洗と磯浜海水浴場
読み方 おおあらいといそはまかいすいよくじょう
包含風景 大洗海岸,大洗神社,子の日が原,山村暮鳥の詩碑,常陽明治記念館,磐船山願入寺,岩船の夕照,鏡塚車塚の古墳
地域 茨城県東茨城郡大洗町
碑の現存 現存する
実際の碑への記載 大洗と磯濱海水浴場
説明
関連リンク
注釈

 

茨城百景 包含風景 大洗海岸

大洗海岸〔茨城県大洗町磯浜町〕

大洗海岸〔茨城県大洗町磯浜町〕

大洗海岸は茨城県内からはもちろんのこと、県外からも多くの観光客、海水浴客、サーファー、釣り人などが訪れます。かつて「県立大洗水族館」、「県立大洗こどもの国」と呼ばれた施設は現在、「アクアワールド茨城県大洗水族館」へと生まれ変わり、レジャースポットとして知られています。

現在はアニメ「ガールズ&パンツァー(通称:ガルパン)」の聖地として、また大洗の町おこしの題材として用いられています。

「水戸を離れて東へ三里 波の花散る大洗」と歌われる「磯節(いそぶし)」は、茨城県大洗を中心として海岸地方で歌われる座敷歌です。

 

茨城百景 包含風景 大洗神社

大洗磯前神社 拝殿〔茨城県大洗町磯浜町〕

大洗磯前神社 拝殿〔茨城県大洗町磯浜町〕

大洗海岸を見わたす高台には、航海安全の守護神 「大洗磯前神社( おおあらいいそさきじんじゃ)」があります。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)〔大国主命〕、少彦名命(すくなひこなのみこと)。

斉衡03年(856)、常陸國上言が記されています。それによると、鹿島郡民で海水を煮て塩をつくる者が夜中に海を望むと天が光り輝いているのが見え、明くる日、高さ各一尺ほどの二つの怪石が海辺にありました。翌日、さらに20余りの小石が二つの怪石の左右に待座するようにならび、彩色は常にあらずかたちは沙門に似ているが、ただ耳や口はありません。時に神が人に依りて云うに「我は是大奈母知(おおなもち) 少比古奈命(すくなひこなのみこと)なり 昔 此の国を作りおわり東海に去ったが 今民を救わん為に 更にまた此の地に帰って来た」というご神託が下されたことが記載されています。

大洗磯前神社は、創立の当初から東国の総守護神として大神様御自ら此の大洗の地を選び、鎮座されたと伝わります。

現在の社殿は、元禄03年(1690)に水戸二代藩主徳川光圀公が御造営の工を起こし、次いで享保15年(1730)に三代藩主綱条(つなえだ)公により本殿、拝殿、神門などを造営しました。綱条によって再興された拝殿は、この大洗の海の守護神としての荘厳さを表わしています。

茨城百景 包含風景 子の日が原

子の日が原 の碑

子の日が原 の碑

天保12年(1841)、斉昭公は「子の日が原(ねのひがはら)」と呼ばれる大洗磯前神社一帯の美しい風景を愛し、しばしば訪れました。その際、「満代を 松に契りて けふこそは 子の日が原に ひかれ来にけり」を詠みました。
なお、碑はもともと海辺近いところにあったものを、砂に埋もれることを考慮し移設させました。

 

茨城百景 包含風景 山村暮鳥の詩碑

山村暮鳥の詩碑

山村暮鳥の詩碑

暮鳥は明治17年群馬県に生まれ、名を来暮八九十(はくじゅう)と言います。
小学校教員を経て軍隊生活の後、文学を志し中央文壇にて活躍。雅号を来暮馬村、または流星と名乗りましたが後に山村暮鳥と改めました。結核により、大洗の地で41才の若さで亡くなりました。

 

水浜電車株式会社 社長 竹内勇之助 像

水浜電車株式会社 社長 竹内勇之助 像

暮鳥碑は暮鳥没後の昭和02年、水浜電車株式会社社長、竹内勇之助らによって建立されました。

 

茨城百景 包含風景 常陽明治記念館

幕末と明治の博物館〔茨城県大洗町磯浜町〕<br>旧・常陽明治記念館

幕末と明治の博物館〔茨城県大洗町磯浜町〕
旧・常陽明治記念館

常陽明治記念館(現在は「幕末と明治の博物館」)創立者田中光顕(たなかみつあき)は、四国土佐(高知県)に生まれました。明治天皇に宮内大臣として12年間仕えました。田中光顕は若い頃から勤王(きんのう)水戸を敬い、水戸のために明治天皇像を建立し、自らの財をもって昭和04年に常陽明治記念館を創立されました。

 

茨城百景 包含風景 磐船山願入寺

願入寺〔茨城県大洗町磯浜町〕

願入寺〔茨城県大洗町磯浜町〕

大洗磯前神社から北へ3キロ北上した先に願入寺(がんにゅうじ)〔茨城県大洗町磯浜町〕があります。
親鸞聖人の嫡孫、如信上人が開基しました。はじめは浄土真宗本願寺派に属していましたが、大本山大網道場として独立、如信の孫如空(にょくう)の大に願入寺を名乗り、以後、常陸國内を転々としながら衰微しましたが、光圀によって現在地に広大な寺領を寄進されたのを機に栄えました。

願入寺 やすらぎの鐘

願入寺 やすらぎの鐘

門扉に葵の門がはめ込まれた山門をくぐると、右手に東日本最大級と言われる鐘「やすらぎの鐘」があります。

 

茨城百景 包含風景 岩船の夕照 / 水戸八景

水戸八景 岩船夕照(いわふねのせきしょう)

水戸八景 岩船夕照(いわふねのせきしょう)

願入寺の境内をそのまま北西に進み敷地を抜けると、水戸八景のひとつ「岩船夕照(いわふねのせきしょう)」があります。西方眼下には、那珂川と涸沼川、遠くに山脈。夕映えのする景色を眺められます。

「岩船の夕照」の眺め

「岩船の夕照」の眺め

 

茨城百景 包含風景 鏡塚車塚の古墳

車塚古墳〔茨城県大洗町磯浜町〕

車塚古墳〔茨城県大洗町磯浜町〕

大洗鹿島線 大洗駅から東へ1キロ。鏡塚古墳、車塚古墳などがあつまる、4世紀代の磯浜古墳群が広がります。
車塚古墳〔茨城県大洗町磯浜町〕は直径約88メートル、高さ約13メートルで、現段階では円墳と考えられています。全国屈指の大型円墳とされています。県指定史跡。