茨城百景 静神社と小場江堰の眺望
茨城百景 名称 | 静神社と小場江堰の眺望 |
読み方 | しずじんじゃとおばえぜきのちょうぼう |
包含風景 | 高の倉城址 |
地域 | 茨城県那珂市 |
碑の現存 | 現存する |
実際の碑への記載 | 静神社と小場江堰の眺望 |
説明 | |
関連リンク | |
注釈 | |
181123 自転車旅/常陸太田と奥久慈ロード18(初日)~水戸赤塚から常陸太田_181123 181123 #常陸太田と奥久慈ロード18 170504 #ぐるり茨城17 050305 瓜連城跡と常福寺、静神社 |
茨城百景 静神社
水郡線静駅から県道61号を西へ2キロ。右手に大きな鳥居が現れると、それが静神社〔茨城県那珂市静〕です。
静神社は古来から武将、庶民の信仰が篤く、慶長07年(1602)に江戸幕府より150万石の社領が与えられました。延喜式内名神大社であり、鹿島神宮〔茨城県鹿嶋市〕に次ぐ常陸國二の宮としてあがめられてきました。
寛文07年(1667)、二代藩主徳川光圀が社殿を修営した際、境内のヒノキの大木の根元から「銅印(静神宮印)」(国指定重要文化財)が発見されました。また、三代藩主綱条が奉納した「紙本著色三十六歌仙絵」(県指定重要文化財)があります。
祭神は建葉槌命(たけはづちのみこと)、別名倭文神(しどりのかみ)と呼ばれる、武と織物の神です。神明造りの社殿は九代藩主斉昭が再建したもので、斉昭が軍事訓練で使用した陣太鼓があり、絵馬も展示されています。
「桜田門外の変」に参加した斎藤監物(けんもつ)はこの静神社の神官であり、氏の墓は静神社を出た、鳥居前の静溜池の奥、木々に包まれた小高い丘にあります。
茨城百景 小場江堰の眺望と静神社
茨城百景 名称 | 静神社と小場江堰の眺望 |
読み方 | しずじんじゃとおばえぜきのちょうぼう |
包含風景 | 高の倉城址 |
地域 | 茨城県那珂市 / 常陸大宮市 |
碑の現存 | 現存する |
実際の碑への記載 | 茨城百景_小場江堰の眺望と静神社_包含風景_高の倉城址と八幡台 |
説明 | |
関連リンク | |
注釈 | |
#ぐるり茨城17 170504 |
茨城百景 小場江堰
静神社から北西道のりで5キロ。那珂川を見下ろすように小場江堰(おばえぜき)がある。
小場江堰は水戸藩三大江堰のひとつ。初代藩主頼房の命を受けた永田茂衛門(ながたもえもん)親子は最初、下江戸(現那珂市)に堰を築くも洪水で流され、万治元年(1658)上流の小場村舟渡(現常陸大宮市)に堰を作り、取水しました。
当時から水田灌漑に、大きな役割を果たしました。現在の堰は大正15年に完成したもの。
茨城百景 包含風景 高の倉城址 / 高の倉城址と八幡台
〔誠意調査中〕
現在の常陸大宮市小野に、「鹿嶋高房神社(かしまたかふさじんじゃ)」があります。
この地名「小野」は、旧小野村を意味しています。
元亀02年(1571)に“高野倉村”がこの“小野村”に合併されるという歴史があり、ここで「高野倉=高の倉」という地名が出てきます。しかし、今現在の私の調査において、それ以上の進展はございません。
外部サイト 茨城県神社庁
常陸大宮市鎮座 鹿嶋高房神社
http://www.ibaraki-jinjacho.jp/ibaraki/kenhoku/jinja/04090.htm