茨城百景 真弓山と寒水石
茨城百景 名称 | 真弓山と寒水石 |
読み方 | まゆみやまとかんすいせき |
包含風景 | 真弓神社 |
地域 | 茨城県常陸太田市 |
碑の現存 | 現存する |
実際の碑への記載 | 真弓山と寒水石 |
説明 | |
関連リンク | |
注釈 | |
日立電鉄線 廃線の最終列車 050331 #水戸の梅調査20 200215 #水戸の梅と日立の旅20 200224 #日立電鉄線調査20 200224 |
真弓山と寒水石
茨城百景 真弓山
真弓山は標高280m程度(公式には標高305m)の低山ではありますが、真弓山の参道入口までの道が悪路であることから、意外と遠く感じられます。
険しい山道を登っていくと、山頂には真弓神社が鎮座しています。
茨城百景 寒水石
真弓山の中腹から山頂にかけて採取することができる大理石。真白い石は「寒水石」と呼ばれ、高級建築材料や工芸用品として利用されてきました。
偕楽園の吐玉泉や、水戸八景の石(碑)としても使用されています。
水戸八景の碑 (一例)
茨城百景 包含風景 真弓神社
祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)
真弓神社は大同02年(807)、坂上田村麻呂が送検したと伝えられ、寛治年間(1087-1094)に、源義家がこの神に戦勝祈願し、陸奥を平定して凱旋のおり、弓八張を奉納したことから「真弓八所権現」と呼ぶようになりました。
以来、武門の神として崇敬をあつめ、佐竹氏が社殿を造営。
また、水戸藩主徳川光圀は山王大権現の称号を贈り、真弓山が水戸城の鬼門にあたるので、神徳を崇敬して20余村の大鎮守とし、春季大祭例には歴代の水戸藩主は御連枝(分家)の殿様を代参させたといわれています。
明治元年12月に社号を真弓神社と改め、農業、漁業関係者に厚い崇敬層をもっています。