茨城百景 霞ヶ浦と土浦港
茨城百景 名称 | 霞ケ浦と土浦港 |
読み方 | かすみがうらとつちうらこう |
包含風景 | |
地域 | 茨城県土浦市 , JR常磐線 土浦駅 |
碑の現存 | 現存しない ※土浦市が公式に存在しない事を認めている |
実際の碑への記載 | 茨城観光100選 土浦港 |
説明 | |
関連リンク | ・霞ケ浦と折本良平の帆引き船~いばらき観光マイスターへの道20 ・川口川閘門の閘門の内側~土浦市街地と霞ヶ浦の区分 ・霞ヶ浦 土浦入り ~京成マリーナ 〔つくば訪問道中記〕※外部サイトです |
注釈 | 茨城百景碑は存在せず、茨城観光百選 碑が存在する。 |
霞ヶ浦と土浦港 , 霞ヶ浦と土浦港 |
茨城百景 霞ヶ浦と土浦港
霞ヶ浦:日本で二番目に大きい湖
霞ヶ浦 / 霞ケ浦 (かすみがうら)は、茨城県の県東部に広がる湖です。面積は、日本で琵琶湖の次に大きく、日本で二番目の湖になります。西浦、北浦、外浪逆浦(そとなさかうら)、北利根川、鰐川、常陸川、各水域の総称で、一部水域は千葉県北東部にもつながります。
土浦港:茨城県土浦市にある霞ヶ浦の地方港湾
霞ヶ浦(西浦)の北西部に位置するのが 土浦港 です。
かつて土浦港〔茨城県土浦市〕のある土浦市は、水運の町として栄えていました。霞ヶ浦の水は、土浦駅の西側にある、亀城公園方面から川口川を通り、流れてきました。
土浦では醤油が作られてきました。江戸(東京)方面から船に乗って土浦に来る行商は、筑波山が遠くに見えたとき、筑波山が紫色に霞かかっているのを観て「紫」(むらさき)と言い、土浦の醤油が「紫」と呼ばれるようになった所以です。そして一般に、醤油の事を「紫」と呼ぶようにもなりました。
水郷汽船と土浦入り開発
かつて土浦港には水郷汽船が就航していました。
後年、土浦港は常陽観光や常陽商事、常興商事による観光地化などの手が入った時期がありました。平成になって、デベロッパーによるマンション開発が行なわれましたが、資金難のため開発計画は頓挫。現在では基礎部分だけが露出した、悲しい風景が広がります。
横利根閘門による淡水化
霞ヶ浦 は 横利根閘門 〔茨城県稲敷市と千葉県香取市〕により海と遮断され、淡水湖になりました。
その後、霞ヶ浦の水は汚れてしまい、気温が上がる時期になるとアオコが浮かび、異臭がします。しかし、それでは再び横利根閘門を開門し、海の水を入れる事で水が循環しきれいになるかというと今度は、霞ヶ浦を淡水の水資源として活用する、農業の方々の仕事がだめになってしまう、という諸刃の部分があり、霞ヶ浦を管理することは難しいのが実情です。
→ 横利根閘門に訪問( 茨城百景 070 釣の十六島と横利根の閘門 )
また、霞ヶ浦の水を飲料用の水瓶として使う、と言う構想があります。
実際、霞ヶ浦の水をポンプで、つくば市方面に送り出す機能が整備されていますが、今現在、実用化されておりません。
霞ヶ浦名産 わかさぎ
霞ヶ浦と言えば、ワカサギを思い浮かべる人もいる事でしょう。
土浦のお土産として、「ワカサギの佃煮」は有名です。明治時代、ワカサギをはじめとした漁業が行なわれる中、旧出島村の折本良平先生が高瀬舟からヒントを得て、帆引船を考案しました。帆引船により漁業は良くなりましたが、後年、エンジンを使った船により姿を消し、現在は観光船として数艇のみが夏場に就航されます。
水害に苦しんだ土浦と色川三郎兵衛の尽力
水位の低い土浦駅周辺は、何度も水害に遭ってきました。
色川三郎兵衛(いろかわ さぶろべえ)(天保13年)は水害対策として、常磐線の線路敷設計画の際、線路を堤防として設計させました。水害時には川口川閘門を締め、ポンプを用いて水を排出させる。その結果、土浦市街地の水害を防ぐことができるようにました。