映画「ある町の高い煙突」~茨城をテーマとした映画鑑賞とトークライブ レポート

映画「ある町の高い煙突」~茨城をテーマとした映画鑑賞とトークライブ レポート

映画「ある町の高い煙突」~茨城をテーマとした映画鑑賞とトークライブ レポート

令和02年02月23日、 茨城県 水戸生涯学習センター にて、映画『ある町の高い煙突』に関するイベントが催されました。

 

そのときの模様や、なぜ俺っちが「日立」および「日立鉱山/日立製作所」に興味、関心を持ったのか、などについて記します。


 

このイベントが行われることを知ったきっかけ

水戸市の公式Twitterをフォローしており、令和元年(2019)12月に下記のつぶやき(お知らせ)を知りました。
申し込みには水戸市のサイトから申し込み登録が必要だったので、登録し、申し込みました。

 

登録をすると返信メールが来て、

受講決定通知書は2月7日(金)までに郵送にてお送りいたします。

との回答でした。

 

令和02年01月末に「当選のはがき」が届く

申し込んだことをGoogleカレンダーで見て思い出したりもしましたが、忘れかけていたころの令和02年01月の終わり、『茨城をテーマとした映画鑑賞とトークライブ』「当選のはがき」が届きました。

『茨城をテーマとした映画鑑賞とトークライブ』当選はがき

『茨城をテーマとした映画鑑賞とトークライブ』当選はがき

このトークライブは応募者が定員65名の3倍近くあり、激戦の抽選による当選だったそうです。

来場された松村克弥監督や、出演者〔井手麻渡さん、城之内正明さん〕にお会いでき、約1時間のトークセッションもあったので、かなり貴重なイベントだったと思います。

 

「茨城をテーマとした映画鑑賞とトークライブ」概要

イベントの概要は、下記のとおり。

映画タイトル:ある町の高い煙突
イベントタイトル:茨城をテーマとした映画鑑賞とトークライブ

開催日時:令和02年02月23日(日) 13:00~16:30
開催場所:茨城県水戸生涯学習センター 大講座室
住所:水戸市三の丸1-5-38 茨城県三の丸庁舎3階
日程:
12:30~ 受付 12:55
13:00~16:30
第1部 日立大煙突の解説
第2部 「ある町の高い煙突」上映
第3部 監督を交えたトークライブ

参加費:500円

水戸市のサイト (外部サイト)

 

日立や日立鉱山、日立製作所に興味を持つまで

廃線となる日立電鉄線

俺が初めて日立(日立市とかかわりを持ったのは、2004年(平成16年)。

当時、廃線になるとニュースになった、日立電鉄線に乗車するために、JR常磐線 大甕駅を利用したことがスタートです。日立電鉄線が廃線になるまで、何度か日立電鉄線に乗車しに来ました。


はじめての日立電鉄線 ~大甕駅から常北太田駅まで 2004年03月07日

はじめての日立電鉄線 ~大甕駅から常北太田駅まで


 

日立さくらまつりと日立神峰神社 大祭禮

その後、2005年(平成17年)に初めて、日立市、日立駅前の平和通りで行われる「日立さくらまつり」に訪問しました。その後も、何度か「日立さくらまつり」「日立神峰神社 大祭禮」などに訪問していましたが、それ以上の接点はありませんでした。

「日立神峰神社 大祭禮」の会場が、なぜ『大雄院通り』で行われるのか。それすら知らない程度だったのです。

 


日立風流物~7年に一度の神峰神社大祭礼は、なぜ大雄院通りで行われるのか_190630

日立風流物~7年に一度の神峰神社大祭礼は、なぜ大雄院通りで行われるのか_190630


 

今はなき「日立鉱山専用電気鉄道」の存在を知る

日立への認識が変わったのは、2017年(平成29年)でした。

日立鉱山専用電気鉄道

現在の日立駅(助川駅)からかつて、日立鉱山専用電気鉄道 という電車が運行されていました。
廃線となった今でも、その線路跡を追うことができると知り、日立駅前から歩いてその道筋を追ったのでした。(2017年10月08日)

大雄院地区 と 日立の大煙突

日立の大煙突が見える、常磐自動車道のところまで登ってこれ以上進むのを断念。
山を下りていきました。

倒壊してしまった日立の大煙突平成05年(1993)、高さ三分の一を残し、大煙突は倒壊してしまいました。

倒壊してしまった日立の大煙突
平成05年(1993)、高さ三分の一を残し、大煙突は倒壊してしまいました。

大雄院(小学校)閉校記念の碑宮田川の流れる、日立の大煙突がある地域。全盛期には1200人もの児童が通う、たいへん賑やかな町が形成されていました。

大雄院(小学校)閉校記念の碑
宮田川の流れる、日立の大煙突がある地域。全盛期には1200人もの児童が通う、たいへん賑やかな町が形成されていました。

007 日立の大煙突

 

パネル展「ふるさと日立と共に」― 共楽館を考える集い 主催

2017年秋、ロードバイク#ガンキャノンデール )で高萩、日立の紅葉をめぐる 自転車旅 にでました。 〔 #高萩日立紅葉の旅17

ロードバイク高萩駅から山間部の紅葉を巡り、日立駅前の東横インにいつもどおり宿泊しました。日立駅前のイトーヨーカドーに夕食を手配しに行くと、4階のイベントフロアーで NPO法人 共楽館を考える集い による、パネル展「ふるさと日立と共に」に遭遇。

このパネル展でワタクシは初めて、日立鉱山にその昔、労働者が働く集落があった事実を知ったのでした。

 

パネル展 「ふるさと日立と共に」

期間:2017年(平成29年)11月21日~26日
場所:イトーヨーカドー 日立店 4階
主催:NPO法人 共楽館を考える集い

 

展示展「ふるさと日立と共に」(期間:2017年11月21日~26日)日立駅前のイトーヨーカドーで開催された共楽館創建100周年記念パネル展。NPO法人 共楽館を考える集い 主催。

展示展「ふるさと日立と共に」(期間:2017年11月21日~26日)
日立駅前のイトーヨーカドーで開催された共楽館創建100周年記念パネル展。NPO法人 共楽館を考える集い 主催。

日立鉱山電気鉄道のパネル日立鉱山が始まると同時に営業を開始し、鉱山に関わるものや人を乗せました。約50年間の営業でした。

日立鉱山電気鉄道のパネル
日立鉱山が始まると同時に営業を開始し、鉱山に関わるものや人を乗せました。約50年間の営業でした。

共楽館(現 日立武道館)本山の日立鉱山で働く労働者や家族を楽しませた共楽館。映画や舞台、歌謡ショーなど催されました。

共楽館(現 日立武道館)
本山の日立鉱山で働く労働者や家族を楽しませた共楽館。映画や舞台、歌謡ショーなど催されました。

 

ロードバイク 日立鉱山クライム 2017

パネル展の翌日、ロードバイク日立鉱山電気鉄道跡をなぞるように進み、神峰の山をクライムし、日鉱記念館を見学します。

 

 

そこでもまた、赤澤鉱山日立鉱山日立製作所本山、などの歴史を知ることとなります。

本山(もとやま)地区の住居群

本山(もとやま)地区の住居群

石岡第一発電所当初は日立鉱山の自家用発電所として建設。明治44年10月竣工されました。国の重要文化財です。

石岡第一発電所
当初は日立鉱山の自家用発電所として建設。明治44年10月竣工されました。国の重要文化財です。

 

映画「ある町の高い煙突」を観る

そうした中で2019年07月、映画「ある町の高い煙突」を映画館で鑑賞し、より日立の歴史を感じたのでした。

神峰山観測所:大煙突の煙を観測していた。

神峰山観測所:大煙突の煙を観測していた。

多くの関家が並ぶ御岩神社前 / 入四間村

多くの関家が並ぶ御岩神社前 / 入四間村

 

「茨城をテーマとした映画鑑賞とトークライブ」に来た!

そして今日、令和02年02月23日、水戸の梅まつりぶらり茨城 水戸の梅まつり 〕のこの時期に、茨城県水戸生涯学習センターにやってきたのです!〔 #水戸の梅と日立の旅20

茨城県水戸生涯学習センターの建物は、(PS1版)バイオハザード並みの建築だぜ。

 

訪問当日すでに、日本国内ではコロナウイルスの影響、被害が出始めた頃でしたが、職員の皆様の努力で開催することができました。

コロナウイルスにあたっての開催に関し、

  • (茨城県は)首都圏ではないので、大丈夫であろう。
  • いす、取っ手、を消毒しました。
  • 個々の椅子の間隔を、十分に確保しました。

とのこと。

 

第一部では、職員が作成された資料を見ながら、「日立の大煙突」についての解説。

第二部では、映画「ある町の高い煙突」を鑑賞。
何度観ても、感動する映画や。。まだ二回しか、拝見していないけど。

 

トークライブ覚書

いよいよ第三部。「監督、出演者等を交えたトークライブ」です。

松村克弥監督のほか、主演の井手麻渡さん、映画の中で個性的な演技をされた孫作役の城之内正明さん(取手出身!)が登壇されました。


 

≪監督≫

上野で育ちました。子供のころの上野は環境破壊がひどく、隅田川は汚染され、悪臭がしていました。本作品「煙突」の原作、新田次郎が書かれたのは、その頃と同時期です。

小説「ある町の高い煙突」 新田次郎 作日立鉱山側が起こした煙害に対し、入四間村の若者 関右馬允が損害賠償というスタイルで事が進む、他の地域の公害問題と比較し、過激さの少ないやりとりが特異でした。

小説「ある町の高い煙突」 新田次郎 作
日立鉱山側が起こした煙害に対し、入四間村の若者 関右馬允が損害賠償というスタイルで事が進む、他の地域の公害問題と比較し、過激さの少ないやりとりが特異でした。

≪井手さん≫

主演は本作品が初めてです。登場人物が15歳から始まるのですが、自分自身アラサーなので、大丈夫かな?と思いました。

(司会者が「違和感はありませんでしたよね?」と会場に振ると、会場からは温かい拍手)

≪城之内さん≫

作品の中では「反乱分子」の役。

兄役が作品中大きな木の下で自殺してしまうが、撮影時は面識がなく、大きな木はCGでした。兄役の下半身は人形で、想像で演技をしました。

居間の撮影シーンは、栃木の公民館で3日間かけて行われました。泣いているか、怒っているかのシーンばかりでした。

≪監督≫

原作では、城之内さんの「孫作」の出番は少ないです。
公害問題を美談にしたくなかった。
人間関係が壊れていく様子、身内同士の争いを城之内さんの役で表現させた。

≪井手さん≫

初めての映画撮影は楽しかった。

仲代達也(無名塾)とは親子関係の役柄。
無名塾での関係と(井手さんも無名塾)、映画の中での親子関係が、実際と近く、緊張しました。

昼間の撮影が多かったため、撮影開始時刻は早く、日が落ちると撮影ができない。
作中、青年部は「禁酒禁煙」を謳っていたが、日没後は役者同士で酒を飲んだりして親交を深めました。(会場笑い)

≪城之内さん≫

役柄、当初はほかの出演者と距離を置いていました。
煙突を皆で作る、おにぎりを渡すシーンのころは、皆と仲良くなっていました。

 

【司会者】撮影の順番は、映画の流れ通りだったのですか?

≪井手さん≫

いつもの舞台だと、2時間なら2時間で、時間の流れで体感していきます。
映画はワンシーンごとの撮影であり、映画の時系列順に近い形で撮影があり、気を使ってもらいました。

【司会者】監督や城之内さんは茨城出身ですが、井手さんは?

≪井手さん≫

茨城にゆかりはないのですが、オーディションで水戸芸術館に来たことはあります。
水戸駅までとぼとぼ歩いて帰った記憶があります。(会場笑い)

【 水戸芸術館 シンボルタワー(高さ100m) 】水戸芸術館は、水戸市政100周年を記念して建てられました。市内いたるところで見られるシンボルタワーは、水戸市を象徴します。

【 水戸芸術館 シンボルタワー(高さ100m) 】
水戸芸術館は、水戸市政100周年を記念して建てられました。市内いたるところで見られるシンボルタワーは、水戸市を象徴します。

【司会者】映画がきっかけで、日立市の観光大使になりましたよね

≪井手さん≫

ここ水戸で話をするのもおかしいですけど、日立市の観光大使になりました。(会場拍手)

ツーリストホテル日立 部屋からの眺めホテルの場所は、海岸寄りの常磐線日立駅から少し距離があります。

ツーリストホテル日立 部屋からの眺め
ホテルの場所は、海岸寄りの常磐線日立駅から少し距離があります。

【司会者】茨城に滞在しての撮影でしたが、食べ物などの思い出は?

≪城之内さん≫

日立駅前の東横インに泊まって、毎晩駅近くの居酒屋に通っていました。

今宵の宿は東横イン日立駅前店 No.82

今宵の宿は東横イン日立駅前店 No.82

≪井手さん≫

魚などがおいしいと思います。
毎日、ボランティアの方が食事を出してくれて、健康面で助かりました。

【司会者】茨城県で撮影することの良さは何ですか?

≪監督≫

茨城県にはよい題材が多い。
今回の映画は、環境問題、エコロジーが題材。世界に向けて、発信できた。中国の映画祭にも出ることとなった。

女子高生や若者が多く、環境問題について熱心に質問してくる。

≪井手さん≫

学校で多くの環境問題を習ったが、この「煙突」では企業と協力して解決していこうとしている。なぜ、他の公害問題で、それができなかったのだろうか。

日立のシンボルである、日立の大煙突〔茨城百景 007 日立の大煙突〕

日立のシンボルである、日立の大煙突〔茨城百景 007 日立の大煙突〕

農民の農作物が枯れるなどは、死活問題。そんななかで、農民と企業とが交渉した、というのを観てもらいたい。

≪城之内さん≫

重機などがない時代に、156mもの煙突を作った。

(司会者:県庁が116m、芸術館が100mです)

≪井手さん≫

日鉱記念館に行って、背負子のかごに、7キロのセメントを入れて担ぎ、片道4キロの山道を毎日2往復した。(2往復しかできなかった)

日鉱記念館〔茨城県日立市宮田町〕

日鉱記念館〔茨城県日立市宮田町〕

≪城之内さん≫

もしかしたら、煙突を作る中で、亡くなった方がいたかもしれない。

≪監督≫

煙突を作るのに、1年かからなかった。

 

【司会者】煙突を作るシーンで、一度足場が崩れるシーンがありました

≪井手さん≫

煙突はCG。大子の廃校になった小学校で撮影しました。

噴煙のシーンでは「(煙突が)倒れまーす」と言われ、美術さんたちの”本気”で、噴煙が来ました。噴煙は「きなこ」です。吸い込んでも害がないように、きなこを使用しています。鼻腔に入ったきなこは、一日取れなかった。

≪城之内さん≫

煙突が崩れるシーンは、おにぎりを渡す前だったので、外から見ていた。
噴煙で一瞬、みんなが消えました。

 

【司会者】撮影は茨城以外に、どこで行いましたか?

  • 仲代さんのシーンは、栃木のしらい家。おおば家住宅でやりたかったが、馬小屋が改修でなくなってしまい、使えなかった。
  • 大子町も多かった。入四間で馬を走らせるシーンなど。
  • 日立鉱山のシーンは、ひよっこの上岡小学校(大子町)
旧 大子町立上岡小学校 〔茨城県久慈郡大子町大字上岡〕旧上岡小学校の創立は明治12年。明治44年に校地を現在地に移転し、第一棟が建てられました。この第一棟は、茨城県下の小学校においては、県立歴史館に移築保存されている旧水海道小学校玄関(本館)に次いで二番目に古い校舎です。

旧 大子町立上岡小学校 〔茨城県久慈郡大子町大字上岡〕
旧上岡小学校の創立は明治12年。明治44年に校地を現在地に移転し、第一棟が建てられました。この第一棟は、茨城県下の小学校においては、県立歴史館に移築保存されている旧水海道小学校玄関(本館)に次いで二番目に古い校舎です。

 

  • ヒロインとデートしているシーンは、高萩のバス停の近く
  • 伊豆大島の海岸線を歩いているシーンは、日立の海岸。座っていた流木は、もともとそこにあったもの。
  • サンドイッチを食べるシーンは、不動の滝(高萩)。

 

【司会者】ヒロインに小島梨里杏さん。戦隊ものに出演しており、活発なイメージですが。

≪監督≫

オーディションでかわいかった。明治、大正だからと言っておしとやかにならず、「おきゃん」な感じ、また、病に伏せるシーンとのギャップで決めた。

 

【司会者】キャストに小林綾子さん。

≪井手さん≫

小林さんに「旦那様」と言われました。(会場笑い)

≪城之内さん≫

贅沢な配役ですよね。

≪監督≫

小林綾子さんは、天才子役。
休憩中、渡辺裕之さんに茨城弁を教わっていた。

 

【司会者】渡辺裕之さん、かっこよかった。あの時代に、あの髪型はいたのでしょうか。(会場笑い)

≪監督≫

かばんは、渡辺さんが持ってきたもの。美術さんもOKを出した。

≪井手さん≫

渡辺さんが伊勢屋さん(茨城県水戸市本町)の、きんぴらが入ったものを差し入れしてくれた。
忘れられなくて翌朝買い行ったら、祝日で店が休みだった。
また、(買うために)水戸に来なければならない。

 

【司会者】渡辺さんは伊勢谷さんで皆によくご馳走してくれる。ラーメンやおにぎりも出る。

≪監督≫

かんぴょう巻きとラーメンがおいしい。

 


 

と、トークライブはこんな感じでした。

聞き間違い、ニュアンスが間違っているかもしれませんが、ご容赦ください。

 

〔 この項、おしまい 〕