茨城百景 大子の史蹟
茨城百景 名称 | 大子の史蹟 |
読み方 | だいごのしせき |
包含風景 | 十二所神社,御館山,文武館址,大子城址,鏡山城址,久慈川の燈籠流し |
地域 | 茨城県久慈郡大子町 , JR水郡線 常陸大子駅 |
碑の現存 | 現存する |
実際の碑への記載 | 表:大子の史蹟 裏:昭和二十五年五月選定 茨城縣 十二所神社 御舘山 文武館址 大子城址 久慈川の燈籠流し 山田の湯 |
説明 | |
関連リンク | ・久慈川灯籠流しの旅19_~奥久慈大子花火大会 190814 ・近津神社下野宮、御田植祭の旅19(初日)_前夜祭_宵灯篭_190621《外部サイト、およびTwiterによる更新》 #久慈川の燈籠流しの旅19 , #久慈川の灯籠流しの旅19 190814 #近津中田植の旅19 190621 ・大子の史蹟と奥久慈ウォーキング 050116 |
注釈 | 大子の史跡 |
茨城百景 大子の史蹟
茨城百景 包含風景 十二所神社
十二所神社〔茨城県久慈郡大子町大字大子〕は、天神、地神12神を祀り、地方開拓の守護神、大子地方の氏神様として町民から崇敬されてきました。慶長年間に佐竹義宣が社殿を修造し、徳川光圀も社地を寄進したと言います。
#近津中田植の旅19
茨城百景 包含風景 御館山
(誠意調査中)
茨城百景 包含風景 文武館址
水戸藩は、文教政策の一環として領内各地に郷校を建設する計画を進めました。大子郷校文武館〔茨城県久慈郡大子町大字大子〕もそのひとつで、大子陣屋が廃止されると、その敷地、建物は学館として活用されました。文武館は、その付属施設として、嘉永03年(1850)に建設されたものになります。大子町指定史跡。
#近津中田植の旅19
茨城百景 包含風景 大子城址
大子城があったのは、JR水郡線 常陸大子駅から南に見える、久慈川と押川の合流点右岸の標高280mの山。奥州白河の結城氏の家臣、芳賀河内守が戦国時代に築城し、佐竹氏が支配した後、廃城となりました。
大子城址へは、県道28号の 大子観光やな 方面から、水郡線のサイガジ沢踏切を渡った先からアクセスできるらしい(筆者未確認)。山頂付近には空堀があり、わずかに城の痕跡が確認できる。
#近津中田植の旅19
茨城百景 包含風景 鏡山城址
JR水郡線 常陸大子駅から東北へ1キロの場所にある、鏡山。
#近津中田植の旅19
茨城百景 包含風景 久慈川の燈籠流し
かつて、子安地蔵尊〔茨城県久慈郡大子町〕の縁日である旧06月23日に、久慈川で水難供養のために「灯籠流し」が行われていました。
『茨城百景巡歴』(室伏勇・著)の中では、この「灯籠流し」が「今は規模を縮小して行われている」と綴られています。しかし、この書籍が発売されたのは「昭和54年(1979)」で、40年も昔の情報です。また、茨城百景が制定されたのは昭和25年(1950)です。時代背景を考えると、この「久慈川の燈籠流し」もまた、絶たれた文化だと思っていました。
ところがある日、大子町のサイトを確認すると、「奥久慈大子花火大会」が開催されることを知りました。また、その紹介の中に、「灯籠流し」の文字を発見してしまいました。
#久慈川の燈籠流しの旅19
#久慈川の灯籠流しの旅19
過去の茨城百景碑