026 大子の史蹟

茨城百景 大子の史蹟

茨城百景_大子の史跡

茨城百景_大子の史跡

 

茨城百景 名称 大子の史蹟
読み方 だいごのしせき
包括風景 十二所神社,御館山,文武館址,大子城址,鏡山城址,久慈川の燈籠流し
地域 茨城県大子町
碑の現存 現存する
実際の碑への記載 大子の史蹟
説明
関連リンク
注釈 大子の史跡
久慈川灯籠流しの旅19_~奥久慈大子花火大会_190814
近津神社下野宮、御田植祭の旅19(初日)_前夜祭_宵灯篭_190621190814 #久慈川の燈籠流しの旅19
190814 #久慈川の灯籠流しの旅19
190621 #近津中田植の旅19050116 大子の史蹟と奥久慈ウォーキング

 

茨城百景 大子の史蹟

 

茨城百景 包括風景 十二所神社

茨城百景 包括風景 十二所神社

茨城百景 包括風景 十二所神社

十二所神社〔茨城県久慈郡大子町大字大子〕は、天神、地神12神を祀り、地方開拓の守護神、大子地方の氏神様として町民から崇敬されてきました。慶長年間に佐竹義宣が社殿を修造し、徳川光圀も社地を寄進したと言います。

#近津中田植の旅19

茨城百景 包括風景 御館山

(誠意調査中)

 

茨城百景 包括風景 文武館址

茨城百景 包括風景 文武館址

茨城百景 包括風景 文武館址

水戸藩は、文教政策の一環として領内各地に郷校を建設する計画を進めました。大子郷校文武館〔茨城県久慈郡大子町大字大子〕もそのひとつで、大子陣屋が廃止されると、その敷地、建物は学館として活用されました。文武館は、その付属施設として、嘉永03年(1850)に建設されたものになります。大子町指定史跡。

#近津中田植の旅19

 

茨城百景 包括風景 大子城址

茨城百景 包括風景 大子城址

茨城百景 包括風景 大子城址

JR水郡線 常陸大子駅から南に見える、久慈川と押川の合流点右岸の標高280mの山。奥州白河の結城氏の家臣、芳賀河内守が戦国時代に築城し、佐竹氏が支配した後、廃城となりました。

県道28号の大子観光やな方面から、水郡線のサイガジ沢踏切を渡った先からアクセスできるという(筆者未確認)。山頂付近には空堀があり、わずかに城の痕跡が確認できる。

#近津中田植の旅19

 

茨城百景 包括風景 鏡山城址

茨城百景 包括風景 鏡山城址

茨城百景 包括風景 鏡山城址

JR水郡線 常陸大子駅から東北へ1キロの場所にある、鏡山。

#近津中田植の旅19

 

茨城百景 包括風景 久慈川の燈籠流し

茨城百景 包括風景 久慈川の燈籠流し

茨城百景 包括風景 久慈川の燈籠流し

かつて、子安地蔵尊〔茨城県久慈郡大子町〕の縁日である旧06月23日に、久慈川で水難供養のために「灯籠流し」が行われていました。
『茨城百景巡歴』(室伏勇・著)の中では、この「灯籠流し」が「今は規模を縮小して行われている」と綴られています。しかし、この書籍が発売されたのは「昭和54年(1979)」で、40年も昔の情報です。また、茨城百景が制定されたのは昭和25年(1950)です。時代背景を考えると、この「久慈川の燈籠流し」もまた、絶たれた文化だと思っていました。

ところがある日、大子町のサイトを確認すると、「奥久慈大子花火大会」が開催されることを知りました。また、その紹介の中に、「灯籠流し」の文字を発見してしまいました。


動画「久慈川の灯籠流し 」


 

#久慈川の燈籠流しの旅19
#久慈川の灯籠流しの旅19

 

 

 

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