茨城百景 河原子海水浴場と水木浜
茨城百景 名称 | 河原子海水浴場と水木浜 |
読み方 | かわらごかいすいよくじょうとみずきはま |
包含風景 | 烏帽子岩,泉ケ森,諏訪の梅林と水穴風穴,鮎川渓,鮎川焼石場 |
地域 | 茨城県日立市 |
碑の現存 | 現存する |
実際の碑への記載 | 河原子海水浴場と水木濱、大久保風穴、諏訪梅林、鮎川焼石場、水●泉ヶ森 |
説明 | |
関連リンク | 060514 茨城百景 河原子海水浴場と水木濱 160319 茨城の山々16 180211 共楽館への旅18 190504 令和けんぽくの旅19(3日目) 200808 移設された茨城百景 河原子海水浴場と水木浜 |
注釈 | 茨城百景「河原子海水浴場と水木浜」の碑は以前、常磐線常陸多賀駅前のロータリーにありました。現在は、多賀市民プラザの駐車場に移設されています。 |
河原子海水浴場と水木浜
河原子海水浴場
常磐線常陸多賀駅から東へ約1キロ、河原子海水浴場が広がります。海岸線はおだやかで、白い砂浜が続き、透き通る海水は地元の人々に親しまれています。
水木浜 / 水木浜海水浴場
河原子海水浴場から更に南下した、日立市の南に位置するのが水木浜海水浴場です。転園の磯に囲まれ、穏やかな海が特徴です。
茨城百景 包含風景 烏帽子岩
烏帽子岩(えぼしいわ)はJR多賀駅から東へ1.5km、河原子海岸にあります。
藤田東湖の詩碑があり、「眼下東に窮まる亜墨州(あぼくしゅう)」と刻まれています。
茨城百景 包含風景 泉ヶ森
茨城百景 名称 | 河原子海水浴場と水木浜 |
読み方 | かわらごかいすいよくじょうとみずきはま |
包含風景 | 烏帽子岩,泉ケ森,諏訪の梅林と水穴風穴,鮎川渓,鮎川焼石場 |
地域 | 茨城県日立市 |
碑の現存 | 現存する |
実際の碑への記載 | 泉ヶ森 |
説明 | |
関連リンク | |
注釈 | |
県指定史跡の泉ヶ森は、JR大甕駅から北東へ600mの泉神社境内にあります。
『常陸国風土記』には、「此より東北のかた二里に密筑(みずき/みつき)の里あり。村の中に泉あり。俗、大井と謂ふ。夏は冷かにして冬は温かなり。湧き流れて川となれり。夏の暑き時、遠近の郷里より酒と肴とをもちきて、男女集いて、いこい遊び飲み楽しめり。」(夏になると郷里の男女が涼を求めて集まり、飲食をしながら遊び、楽しんだ、と言う趣旨)と記されています。
蜜筑(みつき)とは、いまの水木の呼称。泉・大井とは、神社の北側に湧き出している泉のことです。周囲が50メートルほどある泉のほぼ中央からは、今も青白い砂を吹上ながら、絶え間なく清水が湧き出しています。
また隣接する形で、泉が森の湧き水を使った「イトヨの里 泉が森公園」が併設されています。 (180211共楽館への旅18)
「藤田東湖泉ヶ森納涼詩」の碑 (180211共楽館への旅18)冽冽たる寒泉 深樹の下 / れつれつたるかんせん しんじゅのもと炎天六月 颯として秋の如し / えんてんろくがつ さつとしてあきのごとし豈徒に一時の熱を駆逐するのみならんや / あにただにいっときのねつをくちくするのみならんや洗い尽くす 乾坤万古の愁い / あらいつくす けんこんばんこのうれい
茨城百景 包含風景 諏訪の梅林と水穴風穴
諏訪の梅林
諏訪の梅林は、徳川斉昭が天保04年(1833)、偕楽園に先立って開いたとされる梅林です。
諏訪の水穴(神仙洞/しんせんどう)
諏訪の水穴は茨城県内では珍しい鍾乳洞で、信州諏訪湖につながっているという伝説があります。
茨城百景 包含風景 大久保の風穴
(誠意調査中)
茨城百景 包含風景 鮎川渓 / 鮎川渓谷
高鈴山に源を発し、日立の市街地を横切って太平洋に流れ込む鮎川。全長10キロほど。かつては諏訪鉱山の鉱毒水で長く死の川でしたが、閉山後、地元住民の努力で清流が蘇りました。
茨城百景 包含風景 鮎川焼石場
鮎川河口で川をせき止め、そこへよく焼いた青石を投げ入れて湧かす湯のこと。江戸時代から昭和中期頃まで続き、観光客を呼ぶほどの人気がありました。
茨城百景碑 は移設されました
茨城百景碑は以前、JR常陸多賀駅前のロータリーにありました。