茨城百景 山ノ荘
茨城百景 名称 | 山ノ荘 |
読み方 | やまのしょう |
包含風景 | 清滝観音堂,東城寺,向上庵,御経塚,駒ケ滝,日枝神社 |
地域 | 茨城県土浦市 / 新治村,山ノ荘村 |
碑の現存 | 現存する ※碑には「記念碑 再建について」の一文があり、「道路工事の際、破壊してしまった為、昭和62年に再建する事になった」の表記がある。 |
実際の碑への記載 | 山の荘 |
説明 | |
関連リンク | |
注釈 | 「山ノ庄」と称される場合がある。よみかた「やまのそう」ではない。 |
190331 #岩瀬駅から石岡縦断19 170325 筑波山クライム → ゆうもあ村 060402 日枝神社 流鏑馬祭り |
茨城百景 山ノ荘
筑波連邦が南に長く伸びる先、山麓の南側である土浦市(旧 新治村)の小高、東城寺、小野、本郷、永井、大志戸の山里は「山ノ荘」と呼ばれ、平安藤原時代は荘園として栄えました。
茨城百景 包含風景 清滝観音堂
常磐線神立駅、土浦駅から北西へ11キロ。平成24年(2012)に土浦市と石岡市を結ぶ朝日トンネルが完成しました。
その朝日トンネル土浦側の入口の東側近くに、清滝寺(きよたきじ)〔茨城県土浦市小野〕があります。大同02年(807)法相宗の僧、徳一上人によって創建された、と伝えられています。
歌人小野小町が都からはるばるここの清滝観音へお参りに来て、旅の疲れから落命したといわれ、小野地区には小野の墓と称する五輪塔があります。
茨城百景 包含風景 東城寺
朝日トンネル土浦側から西へ1キロ。東城寺の山門から坂道を上り、石の階段を上りきると東城寺の境内に出られます。東城寺の寺伝によると、東城寺は延暦15年(796)に最澄の弟子と伝えられる最仙によって開かれたとされます。
境内には石幢(せきどう)と結界石があります。
石幢は、石灯篭に似ていますが、かさが大きいのが特徴です。「六地蔵石幢」は花崗岩製で、六面に地蔵像が彫られています。構造は下部より基礎、竿、中台、がん部、笠、宝珠からなります。
結界石は、一定の地域を区切る境界石です。戒律を重んずる真言律宗において、聖俗の境界を定めたものです。鎌倉時代後期に常陸に布教した高僧忍性の手によるものと考えられています。同様の結界石は、土浦市穴塚の般若寺、つくば市小田の三村山極楽寺跡に残ります。
茨城百景 包含風景 向上庵
向上庵〔茨城県土浦市小野〕は臨済宗の寺。桜の里を代表する枝垂桜もあり、室町時代の庭園があります。
茨城百景 包含風景 御経塚
経塚(きょうづか)は東城寺本堂の背後に、12ほどの経塚群(県史跡)が確認されています。経塚は11世紀から12世紀にかけて流行した末法思想の影響で、経筒に経典を収納して後世に伝えようとしたものです。
茨城百景 包含風景 駒ケ滝
〔誠意調査中〕
茨城百景 包含風景 日枝神社
大同02年(807)、東城寺の鎮守として近江滋賀県大津市の坂本山王(現 日枝神社)を五穀豊穣の作神として勧請したと伝えられています。本殿は火災で焼失し、現在の本殿は延享05年(1748)に再建されたものになります。
境内の石造燈籠、永正08年(1511)に建立されたものは県内最古のものであり、県指定文化財です。江戸時代中期、宝永05年(1708)正一位山王大権現の称号を賜り、山の荘八ヶ村の総社となり、明治06年日枝神社と改められ、別格郷社となります。
日枝神社の流鏑馬
また、弘仁元年(810)頃より、流鏑馬の神事が行なわれてきたと伝えられています。現在では、04月の第一日曜日に、日枝神社の参道で流鏑馬(県指定無形民俗文化財)が行なわれます。
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ゆうもあ村
かつてこの地に「ゆうもあ村」(正しい表記は「ゆう・もあ村」)と呼ばれる施設がありました。温泉施設や忍者屋敷、アスレチック等が運営されていました。ゆうもあ村が閉園された後、一時期は心霊スポットなどのような扱いを受ける時期がありました。建物は解体、更地となり、その後、キャンプ場として再整備が行われています。