茨城百景 水の里安中
茨城百景 名称 | 水の里安中 |
読み方 | みずのさとあんじゅう |
包含風景 | 丈六薬師,陸平の貝塚,馬掛一斗落,馬掛不動尊,不動浦,大山弁天の鼻,弁天山 |
地域 | 茨城県稲敷郡美浦村 |
碑の現存 | 現存する |
実際の碑への記載 | 水の里安中 |
説明 | |
関連リンク | 茨城百景 水の里安中はかつて「水の里」だった(らしい) 201005 |
注釈 | |
190407 #西霞ヶ浦の歴史19 181223 #イナキシシの旅18 170326 #筑波山と霞ヶ浦17 050722 古渡遭難事件 |
茨城百景 水の里安中
常磐線JR土浦駅から霞ヶ浦沿いを反時計回りに10キロほど進むと、美浦村に入ります。
現在ではJRA(日本競馬界)の馬のトレーニングセンターがあり、競馬愛好家に知られています。
茨城百景碑「水の里安中」のある美浦村シルバー人材センター南側は、現在でこそ干拓され水田が広がりますが、かつてはここも霞ヶ浦の水が入り込んでいました。
霞ケ浦により囲まれた安中地区は、高台の地形でした。その高台から眺める霞ケ浦の風景は、”水の里安中”として茨城百景のひとつに数えられました。
茨城百景 包含風景 丈六薬師
安中地区には天台宗の妙香寺〔茨城県稲敷郡美浦村大字土浦〕があります。
ヒノキの寄木造りで、3.6メートルと背の高い「木造薬師如来立像」(県指定文化財)が保管されています。この薬師如来像、もともとは妙香寺北側のゴルフ場内にあった薬師堂に像がありました。しかし、明治時代に台風で薬師堂が倒壊。妙香寺に移されました。
茨城百景 包含風景 陸平の貝塚
陸平貝塚(国指定史跡)は霞ヶ浦南岸に面した周囲7.5kmの縞状台地の中央部に位置しています。東西約200メートル、南北約150メートルの斜面に大小8カ所の貝塚が分布する大貝塚です。
明治12年(1879)、東京大学理学部生物学科の学生で、大森貝塚を発掘したモースの薫陶を受けた佐々木忠治郎と飯島魁の二人により発見され、発掘調査が行われました。日本人初となる考古学発掘調査で、日本考古学の原点となりました。
現在は陸平貝塚公園として整備され、美浦村文化財センターが併設されています。
茨城百景 包含風景 馬掛一斗落
〔誠意調査中〕
茨城百景 包含風景 馬掛不動尊
霞ケ浦に面した馬掛不動尊〔茨城県稲敷郡美浦村大字馬掛〕は、高台(台地)上にあり、霞ケ浦を一望できます。古代、常陸国府へ向かう旅人は、この馬掛から舟に乗ったそうです。
茨城四十五景 馬掛不動堂
茨城百景 包含風景 不動浦
〔誠意調査中〕
茨城百景 包含風景 大山弁天の鼻
美浦村の霞ケ浦に突き出した岬。安中の霞ケ浦のくぼみを干拓したため、地形上「弁天の”鼻”」では無くなってしまいました。現在は霞ケ浦湖岸が整備され、アウトドア事業者の敷地の一部〔茨城県稲敷郡美浦村大字大山〕となっています。
茨城百景 包含風景 弁天山
大塚古墳、弁天塚古墳の別称ももつ、「黒坂命(くろさかのみこと)古墳」〔茨城県稲敷郡美浦村大字大塚〕は、霞ヶ浦を望む、標高4メートルほどの低台地上に築かれた大塚古墳群のひとつです。弘化04年(1847)、古墳の中腹にあった稲荷社を塚上に移す際、石棺が発掘されm、江戸時代末期の国学者色川三中(いろかわみなか)が『黒坂命墳墓考』として記録しています。
石棺は長さ約11尺(3.3m)、の板石を組み合わせた箱式石棺で、石棺内には遺体とともに朱も残っていたそうです。副葬品として、鏡一面、五尺あまりの剣二振、四尺あまりの剣数十振、甲冑ひと組、石製模造品が記されています。
『常陸国風土記』逸文にみられる、陸奥(東北地方)征討のキロに黒前山 / 堅割山(日立市)で病死した黒坂命の墓ではないか、と考察されています。