茨城百景 江戸崎の景観
茨城百景 名称 | 江戸崎の景観 |
読み方 | えどさきのけいかん |
包含風景 | 江崎山,羅漢山,浜の河岸,高田洲崎,曳舟,医王山,吹上,小野川 |
地域 | 茨城県稲敷市 / 江戸崎町 |
碑の現存 | 現存する |
実際の碑への記載 | 江戸崎の景観 |
説明 | 茨城百景 包含風景は、明治末期に詩歌に歌われた「江戸崎八景」の地名に大きく関与している。 |
関連リンク | ・江戸崎八景 ・江戸崎八景巡りと壮大な茅葺き~ロード牛久市、稲敷市20 200913 ・飯野屋旅館 古渡遭難事件 200513 ・珍満飯店 懐かしい貴重な普通のラーメン 《外部サイト、およびTwitterによる更新》 |
注釈 |
茨城百景 江戸崎の景観
旧江戸崎町(現稲敷市)は、かつて江戸東京から来る霞ヶ浦舟運の物資の集散地として栄えました。しかし、明治中期に開通した鉄道(現在のJR水戸線、JR常磐線)や、陸路の交通手段の発達により、舟運は衰退。水運の要だった霞ヶ浦の江戸崎地区は、大正時代から干拓事業が始まり、景観が少しずつ変わっていきます。
茨城百景は、昭和25年に茨城県により制定されています。
旧江戸崎町の茨城百景は『江戸崎の景観』が制定され、包含風景に「江崎山,羅漢山,浜の河岸,高田洲崎,曳舟,医王山,吹上,小野川」の地名が制定されました。これら包含風景の多くは、明治末期に詩歌に歌われた「江戸崎八景」の地名に大きく関与しています。
昭和63年(1988)に、地元有志により「江戸崎八景の碑」がそれぞれの江戸崎景勝地に建立されています。
茨城百景 包含風景 江崎山
管天寺
曹洞宗管天寺〔茨城県稲敷市江戸崎甲〕は、土岐氏の菩提寺。土岐治頼(はるより)、治英(はるひで)の墓があります。
管天寺から南西1キロのところに、江戸崎城址があります。
江戸崎城址
土塁や空堀の一部が残存し、通称「城山」と呼ばれています。稲敷台地の一部が舌状に小野川沿いにつきだした自然地形を利用して築城されました。
標高25mと小高く、江戸崎地域の町並みや霞ヶ浦を一望できます。
室町初期頃に築城。土岐原景秀が江戸崎城を築城したと記され、その後、景成(かげなり)、治頼(はるより)、治英(はるふさ)、治綱(はるつな)と、土岐原家五代の居城となります。
天正18年(1590)、小田原攻めの余波を受け土岐原氏は没落し、芦名盛重が領主として入城し、慶長07年(1602)秋田に去るまで居城としました。
茨城百景 包含風景 羅漢山
瑞祥院〔茨城県稲敷市江戸崎〕は、江戸山龍雲寺と号する臨済宗の寺院です。
瑞祥院の裏山には五百羅漢像があり、羅漢山と呼ばれています。
茨城百景 包含風景 浜の河岸
稲敷市役所江戸崎庁舎敷地内。かつて舟が行き交った浜河岸の跡。
茨城百景 包含風景 高田洲崎
高田
江戸崎総合運動公園敷地内 ヨシ原
洲崎
かつての岬の突端。洲崎。(現在は、陸のど真ん中?)
茨城百景 包含風景 曳舟
稲敷市駒塚方面に向かう、小野川に掛かる曳舟橋。
茨城百景 包含風景 医王山
「医王山不動院」〔稲敷市江戸崎甲 2617〕は、医王山東光寺と号する天台宗の寺院です。
嘉承元年(848)慈覚大師の開山と伝えられています。江戸崎城主土岐原氏、芦名氏の保護を受け、芦名盛重が城主のとき、随風(後の天海僧正)が第八世の住職に迎えられました。
慶長07年(1602)に徳川家康から寺領150石の朱印地が寄進されました。
明暦元年(1655)には江戸城紅葉山旧殿、四足門の移築や不動堂が建立されました。
元禄06年(1693)には客殿、鐘楼、書院、土蔵や仏像などが整備され、隆盛を極めました。
明治09年(1876)、不動院、山門(仁王門)を残して消失。
昭和50年(1975)に本堂が再建されました。
茨城百景 包含風景 吹上
「茨城百景 江戸崎の景観」の碑がある、茨城県立江戸崎総合高等学校付近の、バス停「吹上」前。