茨城百景 小松寺
茨城百景 名称 | 小松寺 |
読み方 | こまつじ |
包含風景 | |
地域 | 茨城県東茨城郡城里町 / 城北町 |
碑の現存 | 現存する |
実際の碑への記載 | 小松寺 |
説明 | |
関連リンク | |
注釈 | |
181123 自転車旅/常陸太田と奥久慈ロード18(初日)~水戸赤塚から常陸太田_181123 181123 #常陸太田と奥久慈ロード18 161015 #茨城紅葉16 160319 #茨城の山々16春 |
茨城百景 小松寺
常磐線水戸駅、水戸駅市街地から県道51号を北西へ15キロの場所に小松寺(真言宗)〔茨城県東茨城群城里町上入野〕があります。
「平家にあらざれば人にあらじ・・・」と言われた平家は、寿永02年(1183)に源氏により激しく攻めたてられ、平氏が壇ノ浦で滅亡した後、平貞能(さだよし)が平重盛(1179没)の遺骨を抱き、重盛の妻を伴い、常陸大掾義幹(だいじょうよしもと)《多気義幹/たけよしもと》を頼ってこの地に逃れ、墓を設けて埋葬した。とされています。
重盛の墓(県史跡文化財)は本堂北の白雲山中腹にある、五輪塔( 宝篋印塔/ほうきょういんとう)です。墓のそばには、得律禅尼(とくりつぜんに)重盛夫人や、平貞能の墓もあります。
寺宝の「木造浮彫如意輪観音像」(国重要文化財)は、平重盛の念持仏(ねんじぶつ)と伝えられ、中国晩唐時代の作で、裏には徳川光圀の銘があります。
小松寺は天正年間(1573-92)に観音堂、唐門を残して焼失し、現在の本堂は徳川光圀の寄進により再建されたものです。
観音堂
建久05年(1192)に建立されたものと伝えられています。城里町指定文化財。
屋根は入母屋造りで、銅板葺き。創建当時は柿葺きでした。
内陣の来迎柱には、昇り龍の彫刻がされていて、壁画は唐獅子が描かれ、格天井の画は草花で統一されています。本尊は「十一面観音立像」(町指定文化財)。
唐門(両唐派風中爵門/りょうからはふうちゅうしゃくもん)
京都小松谷にあった平重盛邸の勅使門を模造した建造物で、常陸大掾義幹(だいじょうよしもと)が建久02年(1191)に寄進したと伝えられています。町指定建造物。