倒木した「左近の桜」~偕楽園 見晴広場
昨年令和02年(2020)02月15日、水戸の梅まつり 〔茨城県水戸市常磐町〕に訪問した際、好文亭前の広場(見晴広場)でちょっと違和感を感じました。
左近の桜(跡地)の看板 / 令和02年02月
「でっかい木」とは、「左近の桜」のこと。
左近の桜の木の周りにあった木でできたサークルは従来通りあるのですが、その真ん中に「左近の桜」の木が無い。
真新しい看板が設置されています。
樹木名:左近の桜
樹齢63年 樹高16m 幹周3.84m シロヤマサクラ
令和元年9月9日(月)台風15号(強風)により倒木
案内板を見ると、「令和元年(2019)09月09日(月)、台風15号(強風)により倒木」と記載されています!
水戸藩第9代藩主徳永斉昭の正室登美宮吉子(とみのみやよしこ)〔有栖川宮織仁親王王女〕が水戸家に御降嫁されたとき、仁孝天皇から紫宸殿の「左近の桜」と「右近の橘」の。苗木(櫱/ひこばえ)を下賜され、水戸藩上屋敷に植えられました。その後、天保12年(1841)8月に弘道館が開館した際、「左近の桜」が水戸藩上屋敷から弘道館の正庁玄関前に移植されました。
偕楽園の「左近の桜」は、弘道館の昭和の大修理が完了した昭和38年(1963)当時、弘道館の初代・2代目の「左近の桜」が枯死していたため、宮内庁から頂いた左近の桜系統の苗木3本(樹齢7年)のうちの1本を、同年に見晴広場に植樹したものです。
この桜は、天保02年(1831)斉昭夫人の登美宮(とみのみや)が降嫁の折、仁孝天皇から京都御所の左近の桜の鉢植えを賜ったことにさかのぼります。
東京小石川の後楽園徳川邸に植えられたこの桜は、天保12年(1843)弘道館の落成にあたり、弘道館正庁玄関前に移植されました。
その後、初代・二代目は枯れてしまい、現在の桜は昭和38年(1863)弘道館改修工事の完了を記念して茨城県が宮内庁より京都御所の左近の桜の系統(樹齢7年)を受領し、弘道館と偕楽園に植えたものです。
ヤマザクラの一種の白山桜(しろやまさくら)で、幹の周囲は3.84m、高さは約16mです。
本日02/23の、 #水戸偕楽園 公式開花情報は8分咲き。
これから遅咲きの白海もあるが、今来週が開花のピークであろう。#左近の桜 って、台風で倒木しちゃったんですね。
#水戸の梅と日立の旅20 #偕楽園 pic.twitter.com/9rmy5efXXA
— 旅人幸甚 @新治郡千代田村 (@brand_kas) February 23, 2020
アクセス:水戸偕楽園 左近の桜
名称:水戸 偕楽園 本園内 / 左近の桜
住所:茨城県水戸市常磐町1丁目3
JR水戸駅からのアクセス。
偕楽園に「左近の桜」がないと違和感がある
「水戸の梅まつり期間中」は、「左近の桜」が咲くことはほとんど無く、桜が咲いている印象があまりありません。しかし、あの木が無ければ無いで違和感があります・・・

俺っちの過去のアーカイブで「左近の桜」を調べてみましたが、桜の花が咲いている絵は一枚もありませんでした・・・。
平成31年(2019)03月02日の左近の桜 / 偕楽園 見晴広場
2017年(平成29年)03月の左近の桜
2011年(平成23年)03月の左近の桜
この写真を撮影した5日後、(2011年)03月11日に「東日本大震災」が発生しました。
【東日本大震災】茨城も被災地です!~水戸京成ホテルのタイルを見て思うこと 190309
2009年(平成21年)09月「水戸の萩まつり」の左近の桜
過去に何度か、09月に催される『水戸の萩まつり』に偕楽園に来園しています。
再び「枝分け」をしてもらえるのか?
過去の「左近の桜」の歴史を見ると、京都御所から枝分けをしてもらっていることが分かります。
今回、「樹齢63年の左近の桜」が台風の被害により倒木したのは、寿命であったとも考えられます。たしか、日立市の平和通りに植えられている桜の木も、60年近く経過して老木化し、順次植え替えています。
そう考えると、京都御所や後楽園(文京区)から「左近の桜」の系統の木を枝分けしてもらう流れになるのでしょうか?
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… #水戸市ID
〔 この項おしまい 〕
あの『でっかい木』が無い!