05月初旬の難台山〔茨城県石岡市、笠間市の市境〕には、スズランが咲く地帯があります。
スズラン群生地——。
難台山は水戸線福原駅と常磐線岩間駅との間にある、石岡系の山岳連邦です。北は水戸線福原駅から始まり、吾国山(518m)を登りはじめ、難台山(553m)、愛宕山(306m)と縦走で南東方面へ続き、愛宕山から下山して常磐線岩間駅へとつながります。最高地点で500メートルの高さですから、それほど高い山々ではありません。
以前、福原駅から吾国山、難台山、愛宕山、岩間駅へと縦走したことがあります。この行程、福原駅から岩間駅まですべて歩ききると、丸一日かかります。
下記は、2017年12月23日に、福原駅から吾国山、難台山、愛宕山、岩間駅へと縦走した旅の記録です。
今回の旅の目的は、「難台山のスズランを観る」なので、なるべく行程を省きたい。
それぞれの山の間には整備された道路が走っています。駅から難台山に通じる峠(道祖神峠)まで自転車(ロードバイク)で向かい、そこから徒歩で山岳クライムし、スズランを見に行こうと計画を立てました。
輪行で地元駅から常磐線羽鳥駅に向かう
05月19日。朝7時台の気温は20度。寒くもなく、熱くもなく。
自宅から最寄り駅まで自転車で行き、駅前のいつものスペースで輪行準備。輪行の自転車収納作業も手慣れたもので、10分ジャストで輪行準備は完了です。
特急乗車で時間を節約
電車に自転車を持ち込み(輪行)、新松戸、柏と乗り継ぎます。目的駅は羽鳥駅。スマホで時刻表を調べると、この時間帯は柏駅から石岡駅まで特急を利用すると時間を短縮できそうです。スマホのチケットレス購入で、指定特急券は900円。
柏駅から石岡駅まで常磐線の鈍行を使うと、小一時間かかる距離です。お金で時間が買えるのであれば、買ってしまおう!ということで、柏駅から特急ときわに乗車します。
石岡駅で乗り換え、次の羽鳥駅で下車します。
常磐線羽鳥駅は駅舎を新しくしています
09:40
羽鳥駅では新駅舎を建設中。現在の羽鳥駅前は、タクシーが5台程度停まれるほどのスペース。羽鳥駅前の駅前通は商店街が続きます。営業しているお店は数店舗。
羽鳥駅前の営業していないキヨスク跡地?のスペースで自転車を組立てます。自転車を組み立てたら、スタートです。
スズラン群生地を見に行くためのまず最初の目的地は、道祖神峠。羽鳥駅から道祖神峠までは、道のり計測で17キロ程度。まっすぐ寄り道しなければ1時間で付く距離です。
瓦屋地区 セイコーマートで早めの昼食
瓦谷地区は小さな住宅商業圏(集落とも言う)となっているようです。コンビニ、セイコーマートがあります。まだ午前10時30分ですが、これから向かう道祖神峠まではお昼を食べられる場所は無さそうなので、コンビニで弁当を買って食します。
チキンカツ弁当。358円。登山用にも持って行けるようにと、2リットルの水を購入。交差点を挟み、セイコーマートの反対側には「日笠神社」。
有明の松 (今の松は3代目?)
瓦谷の交差点から県道140号を西へ10分ほど進むと、中戸地区。小高い山?丘?には「有明の松」があります。「有明の松」と呼ばれた松は虫食いでやられてしまい、2本目を植えたそうです。しかし、その2本目も枯れてしまいました。今見ている松は、三代目なのでしょう。
「有明の松」として有名な初代の松は、直径1メートルもある巨木。行き来する人の目標になりました。この松があった東側に、難台山があります。
むかし、難台山では合戦があり、城主は女子どもを逃がしました。女子どもは闇の中を逃げ、夜が明けるまで手足を血だらけにして、ようやく平地にたどり着きました。
敵の目から逃れ、やっと安心し、道沿いにあるこの大松の下で一休みした後、夜明けの空がさわやかであったため、自分たちの行方もこの松にあやかり、長くたくましくとの念願から「有明の松」と名づけここを立ち去ったと言われています。
昭和41年03月、「有明の松」は県指定の天然記念物となりました。
難台山クライム(石岡市方面-フルーツライン-道祖神峠)
難台山、道祖神峠のふもと。
以前ここには、「ぼろぼろの善光寺」に訪問するため訪れています。まさか難台山にのぼるため、ここに再来するとは思いませんでした。
難台山クライムはGarminさん曰く、平均勾配12-13%を示します。また、だらだらと上り勾配が続き、休めるゾーンがなくて、かなりきつい。筑波山の不動峠は登り切る最後で勾配が一気にきつくなりますが、あのきつい勾配が最初からずっと続く感じ。。
結局、ほぼ始めから終わりまでずっと自転車を押していました。。。道幅は車がすれ違える程度にありますが、決して広くない。峠ドライブを楽しむ車が後ろから来ると、自転車降りてやり過ごさないと怖い感じです。
30分強かけて、道祖神峠に到着します。。
ずっと自転車を押していたので、これでは自転車クライムではなく、ただの登山です。。
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道祖神峠。
過去に訪問済み。回りの雰囲気も知っています。
ここから難台山登山をするため、自転車はいったん木々の中に隠しておきます。
ここまでの旅の工程
難台山 徒歩登山開始
難台山登山。
難台山は、勾配がかなりきつい山です。上ったり、下りたりを繰り返します。普段運動をしていない人にはきついかも。
スズラン群生地
道祖神峠から山道を25分歩くと、メイン山道から左に分岐するように、「すずらん群生地 入口」の看板があります。スズラン群生地までの道は、踏み跡があるのでそれに習って下りていきます。
案内板には「20分」とありましたが、「10分」程度で視界が開けました。
ここが「すずらん群生地」のようです。
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すずらん群生地。
柵に囲まれた中に、青々とした葉が見えます。これがスズランか。よーく見ると、ちいさい花々が、垂れるように咲いています。
群生地は柵とロープで囲まれており、すずらんがちょっと遠い。手を伸ばしてスマホをスズランに近づけようとしたその瞬間、ドシン!という衝撃。
最初、何!?って思いました。
そしたら、ここには「猪」対策として、「電気柵」が設置されているのでした。電気柵に触れてしまったようで、感電した衝撃だったようです。(電子柵に再度触れて、確認する度胸はない)
近くの看板には、「平成11年初秋に、群生地からすずらん数百株を持ち去られる事案が発生」したようです。その対策も兼ねているのでしょう。しばし、ぐるっとすずらん群生地を撮影して、ふたたび先ほどのT地路まで上って戻ります。
群生地から10分で、先ほどのT地路に戻ってきました。このまま、難台山山頂まで上ることにします。
難台山山頂(553m)に到着
20分程度上り下りしていくと、「難台山山頂 553m」の看板。山頂には数組の先客がいます。いちばん見晴らしの良い、石が露出した場所が空いていたのでそこで昼食をとります。水も、2リットルペットボトルから水筒へ移し替えます。
難台山山頂にある地図は、つくばエクスプレス(2005年開業)の記載はあるけど、茨城空港(2010年開業)はない。(2010年以前の名称である、百里基地表記にとどまる)
難台城址 / 難台山城址
10分ほどの休憩の後、この先にある「難台城址」に向かいます。前回(2017年末 #吾国山愛宕山17 )の登山縦走のとき、メイン山道から分岐する「難台城址」には行っていませんでした。難台城址は茨城百景の包括風景に入っている場所。
2分ほどで「難台城址」方面に向かえる、「難台城址入口」のT地路。5分ほど踏み跡を下りていくと、小さな立て札「城址内通路」があります。
既出の情報通り、難台城址は複数の石が転がっているだけです。この石たちはおそらく、城垣に使われていたものなのでしょう。これ以上、探しても情報は無さそうなので、来た道を道祖神峠まで戻る事にします。
道祖神峠で峠の取り締まりを行なっていた
難台山山頂から来た道を約1時間かけて道祖神峠まで戻ります。道祖神峠(フルーツライン)では、茨城県警察のパトカーと、茨城県警の警察官が数名いらっしゃいます。。
聞くと、峠の取り締まりを行っているそうです。この峠はバイクの通行が禁止されているのか、通るバイクすべてが止められ、事情聴取。バイクの運転手は、罰金6000円を払っている模様です。
藪から自転車を持ってきて、峠を下ります。
大日如来堂
大日如来堂。
大日如来像は昭和30年04月25日に、笠間市の文化財として指定されます。
平城天皇の時代、大同元年に弘法大師が真言宗を伝えるため諸国を巡歴した際、真幸嶽山に37日間籠もって刻み、この地に勧請したと言われています。
大日堂の本堂の中をのぞき込むと、本堂の中には何もないように見えます。しかし裏手に回り込むと石造りの蔵?があり、ここに大日如来像〔木造大日如来坐像(県指定文化財)〕が納められていると思われます。
道中の馬頭観世音碑とアヤメの花
道中見つける、馬頭尊碑(馬頭観音碑)。「供養」の文字が読めるような気がする碑。
あやめの花。もうすぐ6月。
平神社とリアルな笠間市の案山子
上町の平神社。
町内には、あちらこちらかかし?が設置されており、一瞬人かと驚いてしまいます。
セブンイレブンで休憩
セブンイレブンでアイスコーヒー休憩。
宍戸城址、末広稲荷神社、水戸線宍戸駅
宍戸駅が近いので、宍戸地区へ寄り道。
かつて宍戸には宍戸城がありました。城主宍戸氏は佐竹氏に押され、佐竹氏の支配下になりました。関ヶ原の戦いの後、秋田から来た秋田実季(さねすえ)が宍戸藩に転封となり、宍戸城城下を整備しました。
秋田氏が再び福島県に転封された後は幕府領になりました。その後、水戸徳川家により宍戸は整備されたものの、天狗党の乱にて宍戸藩9代藩主頼徳(よりのり)は責任をとらされ切腹します。
明治になり、新政府によって宍戸藩が復活。明治04年廃藩置県により、宍戸藩は宍戸県となり、さらに茨城県に統合され、明治の改革が進みました。
戸城土塁跡には、末広稲荷神社が祀られました。
明治22年01月、小山-水戸間に水戸鉄道が開通し、大田町駅(のちに宍戸駅と改称)が設置。宍戸駅から大田町と平町を結ぶ道路が建設され、旧宍戸城跡に旧陣屋の市街地ができました。
水戸線から分岐して、石岡、土浦方面に向かう常磐線の建設の際、分岐する駅候補としてこの宍戸駅が候補に挙がったことがあります。
筑波海軍航空隊記念館
宍戸駅から筑波海軍航空隊記念館へ。
友部シニアグラウンドには、今年の巨人のドラフト1位指名だった高橋優貴投手の横断幕。
筑波海軍航空隊記念館は、茨城県立こころの医療センターの中にあるようです。航空隊の敷地がもともとあって、その敷地内に医療センターが建てられた、が正解です。
ここは映画「永遠の0」のロケ地でもあります。
「筑波海軍航空隊ここにありき」の碑。
1934年(昭和09年)に開隊された、戦闘機の搭乗員養成学校「筑波海軍航空隊」の記念碑。戦局が厳しくなると、神風特別攻撃隊員(通称:神風特攻隊)を養成するようになりました。筑波隊だけで55柱を超える、と言われています。
筑波海軍航空隊正門。
号令台。
筑波海軍航空隊記念館の敷地を出て、友部駅方面へ向かう道路には、「招魂碑」。
昭和20年8月15日、戦争が終わった。引揚者は筑波海軍航空隊跡地に入植した。しかし資金は少なく、耕土も細く、作物の収穫を得るために大変苦労した。志半ばで村を去った者もいた。次第に家畜は増え、実りを得られるようになり、豊かな旭村となっていった。
と言う趣旨のことが書かれています。
当時の県知事、竹内藤男先生の名前。
常磐線 友部駅から輪行で帰る
セブンイレブン 友部駅前通り店 で夕食。五目あんかけ焼そばをいただく。この前、福島で食べた五目あんかけは、あんと麺がセパレートタイプだったが、こちらはあんが直に麺に乗っている。別物なのだろうか??
今回の旅の最終目的地、水戸線/常磐線の友部駅に到着します。
自転車を輪行袋に収納。友部駅内のNEWDAYSで「スイートポテト」(ナガタフーズ)を購入し、いただきます。柔らかくて甘くておいしい。
こうして難台山クライムから始まった、スズラン鑑賞の旅は終わります。
上り常磐線に輪行自転車を積み込み、常磐線車両は友部駅を出発します。