茨城百景 境の景勝
茨城百景 名称 | 境の景勝 |
読み方 | さかいのけいしょう |
包含風景 | 境の桜堤,丸山公園,閘門,釣場,東昌寺 |
地域 | 茨城県猿島郡境町 , 五霞町 |
碑の現存 | 現存する |
実際の碑への記載 | 茨城百景 境の景勝 大利根湖畔景勝の地 |
説明 | |
関連リンク | |
注釈 | |
190224 #境は景勝19 170503 #ぐるり茨城17 初日 |
茨城百景 境の景勝
境町は茨城県の南西部に位置し、町の西南部を利根川が流れ、その利根川を挟んで千葉県に面した農業を中心とした町です。江戸時代、徳川幕府は江戸を水害から守るため、利根川と常陸川水系(現在の鬼怒川、小貝川、霞ヶ浦)を結びつけました。しかし実際には、江戸川の開削で江戸への水路を開くことで江戸へ年貢米や商品を河川で輸送することが目的でした。境河岸は水陸交通の要として飛躍的に発展していきました。
茨城百景 包含風景 境の桜堤
利根川堤防近くに桜堤がありましたが、河川敷の改修などにより当時の面影はありません。
茨城百景碑が設置されている利根川河川敷の休憩所〔茨城県猿島郡境町宮元町〕が、かつての雰囲気を思わせるのでしょうか。
茨城百景 包含風景 丸山公園 / 中の島公園
中之島公園(丸山公園)は、利根川が利根川と江戸川に分岐する三角地帯です。この三角地代の多くは千葉県野田市関宿町になりますが、先端の一部分だけが茨城県猿島郡五霞町となります。
中の島公園には、江戸川の治水の歴史に関する遺構が多く展示されています。
江戸川の水量を調節した「棒出し」のための「棒出しの石」や、別名「板東太郎」と呼ばれる利根川の治水工事大成功を記した「利根川治水大成碑」、明治40年に総武鉄道の江戸川に架けられた「江戸川橋梁」、総武鉄道のレースを利用して作られた「レール製藤棚」などが置かれています。
現在は「中の島公園」と呼ばれていますが、かつては「丸山公園」と呼ばれていました。
茨城百景 包含風景 閘門 / 関宿の閘門
利根川から分岐した江戸川に設けられた閘門は「関宿の閘門」と呼ばれ、猿島郡五霞町扱いとなります。利根川の流れを分流調節して江戸川に落す役目を果たしています。
茨城百景 包含風景 釣場
〔誠意調査中〕
茨城百景 包含風景 東昌寺
東武日光線 南栗橋駅から東へ4キロ。幸手駅から北東へ5キロ。
東昌寺〔茨城県猿島郡五霞町山王山〕は、室町時代に古河公方家臣の簗田(やなだ)氏が開いた禅寺です。
修行僧が50人から100人規模で勤めていた時代もある、大規模なお寺で、本堂の天井高さは5メートルもあります。檀家のいない寺としても知られています。
東昌寺 山門(楼門)
元禄02年の本堂新築に伴い、関宿城主牧野備後守成貞の妻から寄進を受けたものです。
楼門の天井に描かれている龍は、過去数回にわたる洪水や風雨の影響のため、ほとんど見て取ることができません。これらの龍の画は、狩野派の流れをくむ絵師の作と言われています。楼門上には、釈迦牟尼仏坐像および、十六羅漢が祀ってあります。屋根は昭和08年に茅葺き屋根から亜銅板に、さらに現在のものは昭和54年に銅板に葺き替えられました。
五霞町指定文化財。
東昌寺 梵鐘
元享年間(1321-1324)に、下野国天明の鋳物師大工甲斐権守卜部助光が製作し、銘文は寄進された際に刻まれたものです。
関東の富士見百景 : 利根川境河岸付近堤防
利根川の河川敷付近(利根川境川岸付近堤防)は、国土交通省が『関東の富士見100景』に認定しています。