関東の奇祭 古河提灯竿もみ祭 発祥の地

関東の奇祭 古河提灯竿もみ祭 発祥の地

茨城百景 名称 古河連景
読み方 こがれんけい
包括風景 雀神社(提灯祭),三国橋,熊沢蕃山の墓,古河公方の遺蹟,渡良瀬川遊水地,新郷の松並木
地域 茨城県古河市
碑の現存 不明
実際の碑への記載
説明
関連リンク
注釈 「古河遠景」と称されるケースがある。

 

雀神社

雀神社〔茨城県古河市宮前町〕

雀神社〔茨城県古河市宮前町〕

東北本線古河駅から北西に1キロの場所にあります。
創立は明らかでなく、伝承によると貞観年間(859~876)に出雲大社から勧請したらしい。
社名については、鎮宮が転化して雀宮となったと言われています。
康正元年(1455)に足利成氏(しげうじ)が古河公方となってから代々、歴代の古河藩主が崇拝したと言われていいます。五穀豊穣、家内安全を祈願。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)による三神。

提灯祭 / 提灯竿もみ祭り

古河提灯竿もみ祭り〔茨城県古河市横山町〕<br>毎年12月の第一週に行なわれる、提灯をぶつけあう奇祭。

古河提灯竿もみ祭り〔茨城県古河市横山町〕
毎年12月の第一週に行なわれる、提灯をぶつけあう奇祭。

12月の第一土曜日、古河市横山町の一角で奇祭「提灯竿もみ祭り」が行なわれます。
江戸時代、古河藩領であった栃木県野木町の野木神社に伝えられる神事「七郷めぐり」に付随した行事に由来しているとされています。
提灯竿もみ祭りは、丸太で組まれた籠の中に提灯竿が進入してきます。一本の軸竿と3方から支える竹の棒で提灯竿をコントロールし、提灯同士をぶつけ合います。提灯の火が消えるか、竹竿がおれると負けとなります。

三国橋

(4代目)三国橋〔茨城県古河市古河〕

(4代目)三国橋〔茨城県古河市古河〕

現在、古河市渡良瀬川に架かる「三国橋」は、国道354号北側に繋がる「三国橋」と、その南側、「新三国橋」のふたつとなっています。しかし、このふたつの橋はいずれも、昭和25年の茨城百景制定時の橋ではありません。
北側に在する三国橋は1968年(昭和43年)に架設された4代目。その前の3代目が1931年(昭和06年)に掛けられていることから、時代年間から見ても、先代の3代目の橋を茨城百景として見ていたものと考えれます。

 

熊沢蕃山の墓

熊沢蕃山の墓 / 鮭延寺〔茨城県古河市大堤〕

熊沢蕃山の墓 / 鮭延寺〔茨城県古河市大堤〕

古河駅から国道4号を南に2.5キロ。鮭延寺境内に熊沢蕃山(くまざわばんざん)の墓があります。
熊沢蕃山、名を伯継、字は了介といい、息游軒などの号があります。元和05年(1619)京都に生まれ、5歳のとき、外祖父で水戸の初代藩主徳川頼房に仕えていた熊沢守久の養子となり、熊沢姓となりました。
すぐれた才能と勉学、努力により学者として大成し、特に中江藤樹に学んだ陽明学者として知られています。

岡山藩主に仕えた後、39歳にして丘や亜mを引退し、以後30余年あまり講学著述に専念しました。
貞享04年(1687)古河藩に招かれましたが、時事をを論じたことで幕府の嫌疑にふれ、古河城のひと隅に禁固の身となりました。元禄04年(1691)、73歳をもって没し、鮭延寺境内に葬られました。

 

古河公方の遺蹟

古河公方足利尊氏墓所〔茨城県古河市鴻巣〕

古河公方足利尊氏墓所〔茨城県古河市鴻巣〕

足利成氏が康正元年(1455)に鎌倉から古河に移った際に在した古河公方館(こがくぼうやかた)〔茨城県古河市鴻巣〕。現在はその敷地を基本に、古河総合公園となっています。園内には古河公方館跡や、御所沼、古河公方足利義氏墓所など多くの遺構があります。

 

渡良瀬川遊水地

渡良瀬川治水記功副碑

渡良瀬川治水記功副碑

渡良瀬遊水池は栃木県、群馬県、埼玉県、茨城県の4県にまたがる遊水池です。
上流の思川(おもいがわ)と、巴波川(うずまがわ)のふたつの川が合流する遊水池。足尾鉱毒事件による鉱毒を沈殿、無害化させるため、また、明治23年、29年の洪水被害を考慮して作られました。

 

新郷の松並木

〔誠意調査中〕

 

 

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