茨城百景 阿波の大杉神社
茨城百景 名称 | 阿波の大杉神社 |
読み方 | あばのおおすぎじんじゃ |
包含風景 | 奥山,神宮城址,十三塚 |
地域 | 茨城県稲敷市 , JR東日本 成田線 下総神崎駅 |
碑の現存 | 現存する |
実際の碑への記載 | 阿波の大杉神社 |
説明 | |
関連リンク | |
注釈 | 茨城県のサイトでは「阿洗の大杉神社」(誤:洗)の記載が見られるが、正しくは「阿波の大杉神社」である。よって、当サイトでは「阿波の大杉神社」を正とする。 |
#あんばまちの旅19 191027 大杉神社,あんば祭り #西霞ヶ浦の歴史19 190407 神宮城址,十三塚 #イナキシシの旅18 181223 ホイホイ地蔵 稲敷の茨城百景巡りと江戸崎祇園祭 050723 ※外部サイトです |
茨城県HP間違い記載:阿洗の大杉神社
茨城百景 阿波の大杉神社
新古渡大橋から国道125号を南下すること約1キロ。通称「あんば様」として知られる大杉神社があります。航海安全、悪疫(とくに天然痘)除けとして北関東から東北にかけて信仰されています。
あんば囃子
毎年10月26・27日の例祭に「あんば大杉大明神 悪魔祓ってよーいやせ あんばのほうから吹く風は 疱瘡軽くの便り風」と鉦(かね)や太鼓をたたきながら囃し、悪役除けを願うあんば囃子を奉納。
茨城百景 包含風景 奥山
(誠意調査中)
茨城百景 包含風景 神宮城址
南北朝時代、南朝北畠親房が伊勢大湊(三重県)から海路陸奥に向かう途中、暴風に遭遇して常陸東条浦へ漂着、地元の地頭東条氏がこの神宮寺城に迎え入れました。北朝方の常陸守護佐竹義篤・大掾高幹らの軍勢に攻められ、落城。親房は阿波崎城、小田城、関城、大宝城へと転戦しました。
現在は空堀、土塁が残り、土塁上に「北畠准后唱義之処」の石碑があります。
茨城百景 包含風景 十三塚
南北朝時代、南朝方の北畠親房が嵐により東条浦(旧甘田入附近?)に漂着した際、兵糧を送って親房に協力した近郷13ヶ村の名主は、北朝方佐竹義篤に捉えられ処刑されました。
その13ヶ村の名主を葬ったのが「十三塚」です。
ホイホイ地蔵
南北朝時代、嵐により漂着した北畠親房をかくまった、13ヶ村の名主達は北朝方の佐竹義篤らにより斬首されました。阿波崎村名主の根本六左衛門は、外出して難を逃れましたが、仲間らの処刑を知ると13人と運命を共にすべく、すでに小野川を渡って立ち去ろうとしていた敵将を、湖畔で「ホーイホーイ」とよびとめ、懇願して自ら斬られました。