073 古渡の湖畔

茨城百景_古渡の湖畔

茨城百景_古渡の湖畔

茨城百景 名称 古渡の湖畔
読み方 ふっとのこはん
包括風景 堂崎,上馬渡潮岸,興禅寺,熊野神社
地域 茨城県稲敷市
碑の現存 現存する
実際の碑への記載 古渡の湖畔
説明
関連リンク
注釈 茨城県のサイトには「古渡の潮畔」と記載されているが、ただしくは「古渡の湖畔」。誤)潮、正)湖

 

古渡の湖畔

霞ヶ浦の南岸に位置する稲敷市。
平成17年(2005)の市町村合併により、旧桜川村は稲敷市となりました。近年では欽ちゃん球団「茨城ゴールデンゴールズ」の本拠地のある場所としても知られています。

旧江戸崎町と旧東町の間にあった旧桜川村は、かつては小野川を「古渡橋」で渡り、村の中心地(旧 桜川村商店街)をメイン道路が走っていました。現在では南側に国道125号が走り、「新古渡大橋」に付け替えられています。旧商店街は、静けさを取りもどしています。

旧桜町商店街から古渡橋を眺める<br>2005年、旧古渡橋は架け替え工事をしていました。

旧桜町商店街から古渡橋を眺める
2005年、旧古渡橋は架け替え工事をしていました。

また、古渡地域および、その周辺に関わる部分は干拓が繰り返されており、かつての古渡地域の湖岸線と現在の湖岸線は大きく変わっています。そのため、茨城百景の眺めとして風景を観たときに、違和感を感じるのかもしれません。

堂崎

旧 古渡地区、霞ヶ浦の先端に突き出た場所があり、「堂崎鼻」と呼ばれる場所があります。

古渡大橋方面から堂崎(右手)方面を眺める<br>向岸は美浦村、陸平貝塚方面。

古渡大橋方面から堂崎(右手)方面を眺める
向岸は美浦村、陸平貝塚方面。

 

上馬渡潮岸

稲敷市に上馬渡地区があります。霞ヶ浦に沿って湖岸を眺めたとき、西の洲岬まで湖岸が沿っているように見えますが、ここは干拓された土地。「西の洲干拓機構」から「西の洲岬」までの間が干拓された土地のようです。この“湖岸”のことを指し示していると思われます。

この場所から筑波山方面を眺めたとき、陸平貝塚が左手に、右手に筑波山が見えます。

興禅寺〔茨城県稲敷市古渡〕

興善寺〔茨城県稲敷市古渡〕

応保年間(平安時代)平治の乱に源氏の将来を案じて一族中ただひとり平家と行動を共にした源頼政公が、当時草庵程度の小寺を創建し、源氏の繁栄を祈願したのが開基と言われています。
その後、嘉禄年間(鎌倉時代)、源頼朝の室政子の方が鹿島参拝の折、当時に参詣され、その衰微を嘆いて復興を命じ、再建されたのを機に真言宗から臨済宗に変わりました。
この時、後鳥羽院ご下賜の延命地蔵を安置して建立されたのが地蔵堂と言われ、今も安産子育ての守護菩薩として信仰を集めています。
山号は、政子の方の法名(長松院殿如実二位禅尼)にちなみ長松山と号し、江戸時代以降は曹洞宗に改宗しています。

 

熊野神社 〔茨城県稲敷市古渡〕

文治年間(1185~90)に熊野別当の 湛増と言う人物が古渡の地にお祀りしたのが始まりとされています。神仏習合の古い時代には、小野の逢善寺(ほうぜんじ)の末寺であった智福院が別当寺を務めていたとされています。

永禄11年(1658)、江戸崎城主土岐治英が熊野権現を踏襲し、続いて大正15年(1587)、同じく江戸崎城主土岐治綱が熊野山社大権現を再興して建て替えたことなどが、伝えられています。

 

 

 

 

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