茨城百景 那珂湊海水浴場
茨城百景 名称 | 那珂湊海水浴場 |
読み方 | なかみなとかいすいよくじょう |
包含風景 | 水門帰帆,姥の懐,湊公園 |
地域 | 茨城県ひたちなか市 |
碑の現存 | 現存する |
実際の碑への記載 | 那珂湊海水浴場 |
説明 | |
関連リンク | |
注釈 | |
那珂湊海水浴場、姥の懐
170505 #ぐるり茨城17 (2日目)
171229 #陸海空いろんなとこから17
水門帰帆
171229 #陸海空いろんなとこから17
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茨城百景 那珂湊海水浴場
那珂川河口付近にある那珂湊は、水戸城下の外港として栄えていました。水上交通の要であり、漁港として歴史があります。
その北側には現在、「鵜の懐マリンプール」をはじめとする海水浴場が整備されています。
茨城百景 包含風景 水門帰帆 / 水戸八景
水門帰帆は水戸八景のひとつであり、「みなとのきはん」と読みます。
ひたちなか海浜鉄道湊線 那珂湊駅から東へ700メートル、殿山駅から南へ400mの、那珂湊港を見下ろす高台に碑はあります。
→ 「水戸八景」とは?
現在の那珂川は、ほぼまっすぐに太平洋に流れていますが、当時の那珂川はこの高台の真下、海洋高校の辺りを流れており、白い帆の出船、入船を間近に見ることができました。
茨城百景 包含風景 姥の懐
那珂湊海水浴場はかつて、「姥の懐」(うばのふところ)と呼ばれていた海岸の辺りを表していました。しかし、那珂湊の拡張工事や、海岸道路の建設などにより景観は変わってしまいました。
この場所にはその昔、大きな岩があり、内部に人が入れるほどの祠があったため、“姥の懐”と名が付けられていました。江戸時代後期の天保年間に石を切り出した際、この岩も誤って取り除かれてしまいました。
その地に昭和26年ころ、海中プールが作られました。
茨城百景 包含風景 湊公園
夤賓閣跡
ひたちなか海浜鉄道湊線 那珂湊駅から南へ500メートル。台地を登った先が港公園一帯です。
はるか鹿島灘を見渡すこの地には、元禄11年(1698)に2代藩主徳川光圀が建てた別荘「夤賓閣(いひんかく)」がありました。別称、湊御殿(みなとごてん)、湊別館(みなとべっかん)、お浜御殿とも呼ばれていました。「夤賓閣」は、応接所という意味も持ちます。
夤賓閣は元治甲子の乱(げんじかっしのらん)(1864)で消失しました。その後、明治30年(1897)に湊公園として整備されました。
反射炉跡
公園を要する台地の北西500メートル先には「反射炉跡」(県史跡)があります。幕末、那珂湊沖に異国船が出没するようになり、9代藩主斉昭が外敵に備えるため大砲鋳造を目的として、安政04年(1857)に反射炉を建設しました。
元治元年(1864)に争乱により破壊されましたが、昭和12年(1937)に地元有志により、模型が復元されました。