032 西金砂山

茨城百景_西金砂山

茨城百景_西金砂山

茨城百景 名称 西金砂山
読み方 にしかなさやま
包括風景 西金砂神社
地域 茨城県常陸太田市 / 金砂郷村
碑の現存 現存する
実際の碑への記載 西金砂山
説明
関連リンク
注釈
181124 常陸太田と奥久慈ロード18
151121 #ロード茨城百景15

 

西金砂山

西金砂山 参道 鳥居〔茨城県常陸太田市上宮河内町〕

西金砂山 参道 鳥居〔茨城県常陸太田市上宮河内町〕

水郡線下小川駅、中舟生駅、山方宿駅から西方5キロの地点が西金砂山(標高418/428メートル)です。山頂付近に西金砂神社が鎮座します。
かつての西金砂山は林道による徒歩登山でのアクセスが一般的でしたが、道路が整備され、車で西金砂神社までアクセスすることができます。ただし、道幅はたいへん狭いため、車同士がすれ違うのが困難な場所が多いです。

治承04年(1180)、富士川の合戦後源頼朝は、佐竹氏討伐のため常陸国へ向かいました。頼朝は自ら日立国府に赴き、合戦の指揮を執っています。金砂城を中心に展開された両者の攻防を、「金砂合戦」と呼びます。佐竹氏が立てこもった金砂城は、西金砂山山頂、現在の西金砂神社の位置にありました。

西金砂のイチョウは、県指定天然記念物。

 


西金砂神社

西金砂神社 拝殿〔茨城県常陸太田市上宮河内町〕

西金砂神社 拝殿〔茨城県常陸太田市上宮河内町〕

水郡線下小川駅、中舟生駅、山片宿駅から西方5キロの、西金砂山(標高428メートル)の山頂付近に西金砂神社〔茨城県常陸太田市上宮河内町〕はあります。

大同元年(806)03月創建で、宝珠上人が比叡山の日吉山王権現を勧請したと言われています。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、国常立命(くにとこたちのみこと)。

西金砂神社の伝説
西金砂の大神は、近江国比叡山から鮑(あわび)の船に乗って、日立市の水木浜に着きました。このとき、里人たちに「紫色の雲がたなびく所に御殿を建てよ」という夢知らせがありました。里人が北方を見ると御真山(おしんざん)〔茨城県金砂郷村下宮河内〕の上空に紫色の雲が豊にたなびいていたので、ここに祠を建てて大神を祭りました。しかし、しばらくすると、西金砂山上空に五色の雲が色鮮やかにたなびいていたので、さらに大神の御心にかなうようにと、御殿を建ててお祀りしました。

比叡山延暦寺にならい、堂塔伽藍を整備し、千手観音堂、鐘楼、経堂、十六羅漢堂などが山内に建ち並んでいました。
中世には佐竹氏、近世では水戸徳川家の崇敬が厚くありました。数度の火災で堂塔は消失し、現在の社殿は江戸時代に再建されたものと伝えられます。

天下太平、五穀豊穣、万民法楽祈願のため、浜降りの祭を厳修して湖水行事と称し水木浜(日立市)の清い潮水をもって神体を清め、神の心を慰め、五穀豊穣を祈り民心の安定と同時に社会平和を祈願する二大祭《磯出大祭礼、小祭礼》を行います。

 

磯出大祭礼(大田楽)

「磯出(いそで)大祭礼」は73年目ごと(72年ごと)に執行され、最近では平成15年に第17回の 金砂神社磯出大祭礼 が執行されました。文徳天皇の仁寿元年(851)に始まった祭礼です。
東西の金砂神社とも500人ずつの渡御行列が、金砂神社と日立市の水木浜の間(往復70キロ)をそれぞれ7日間かけて往復します。その途中で、昔から定められた祭場で、金砂大田楽(おおでんがく)(国選択無形民俗文化財、県指定無形民俗文化財)と呼ばれる田楽舞を行います。

小祭礼

西金砂神社では7年ごとに、行列100人あまりで4日間かけ「小祭礼」が執行されます。
嵯峨天皇の弘仁06年(815)03月に初めて執行されました。心鏡をご神体として出社、中染(常陸太田市)、和田(常陸太田市)、馬場(常陸太田市)で田楽舞を奉奏、金砂山にもどり再び田楽を執行し、潮水行事を実施します。

西金砂神社 / 東金砂神社 田楽舞

「西金砂神社 田楽舞」の看板

「西金砂神社 田楽舞」の看板

西金砂神社田楽舞(県指定無形民俗文化財)は、大祭礼、小祭礼の際に奉納されます。天下太平、五穀豊穣、万民法楽を祈願し、「四方固め」「獅子舞」「種蒔き」「一本高足」の四段から構成されています。

東金砂神社の田楽舞(県指定無形民俗文化財)では、「四方固め」「獅子舞」「巫女舞」「三鬼舞」が演じられます。

 

東金砂神社 参道 鳥居〔茨城県常陸太田市天下野町〕

東金砂神社 参道 鳥居〔茨城県常陸太田市天下野町〕

 

 

 

 

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