015 磯原海岸

茨城百景 磯原海岸

茨城百景 磯原海岸現在はホテル月浜の湯さんの駐車場に隣接する形で設置されていますが、以前は、常磐線磯原駅寄りの「第二磯原陸前浜街道踏切」前にありました。

茨城百景 磯原海岸
現在はホテル月浜の湯さんの駐車場に隣接する形で設置されていますが、以前は、常磐線磯原駅寄りの「第二磯原陸前浜街道踏切」前にありました。

 

茨城百景 名称 磯原海岸
読み方 いそはらかいがん
包含風景 二つ岩,天妃山,海水浴場,松原と浜街道の松並木
地域 茨城県北茨城市
碑の現存 現存する
実際の碑への記載 磯原海岸
説明
関連リンク 移設された茨城百景 磯原海岸 200803
六角堂と二ツ島 北茨城の旅 050811 ※外部サイトです
注釈

 

茨城百景 磯原海岸

磯原海岸。天妃山や野口雨情生家から北上し、国道6号沿いをまっすぐ伸びる太平洋側の海岸。大北渓谷(茨城百景 大北渓)から流れてくる大北川は大北河口につながり、太平洋に流れ込みます。

野口雨情の生家

「七つの子」「シャボン玉」「赤い靴」など、日本を代表する童謡を作った野口雨情の生家があります。

野口雨情の生家〔茨城県北茨城市磯原町〕<br>明治15年、この家で有情先生が誕生し、育ちました。「観海亭」という名称は、徳川光圀公が銘々。木造二階建ての建物です。

野口雨情の生家〔茨城県北茨城市磯原町〕
明治15年、この家で野口雨情先生が誕生し、育ちました。「観海亭」という名称は、徳川光圀公が命名。木造二階建ての建物です。※許可を得て撮影。

 

茨城百景 包含風景 二つ岩

茨城県北茨城市の磯原シーサイドホテル前の海岸にある、二つの岩。「二つ島/二ツ島」とも呼ばれます。
大小ふたつの岩(島)で構成されていましたが、2011年03月11日の東日本大震災の津波の影響により、大きい方の島は木々が無くなり、はげ山になってしまいました。また、小さい方の岩(島)は消失してしまいました。

二つ島(二ツ島)の大きい島<br>左手の建物は磯原シーサイドホテル。2005年08月撮影。

二つ島(二ツ島)の大きい島
左手の建物は磯原シーサイドホテル。2005年08月撮影。

 

二つ島(二ツ島)の小さい島<br>磯原シーサイドホテル客室から2005年に撮影。2011年03月11日の東日本大震災の津波により、こちらの小さい方の島は消失してしまいました。

二つ島(二ツ島)の小さい島
磯原シーサイドホテル客室から2005年に撮影。2011年03月11日の東日本大震災の津波により、こちらの小さい方の島は消失してしまいました。

 

茨城百景 包含風景 天妃山

磯原駅から陸前浜街道を(国道6号)を北へ約1.5キロ。大北川河口の前に突き出た前にある山が天妃山(てんぴさん)〔茨城県北茨城市磯原町〕。
大北川、大北河口から眺める天妃山

大北川、大北河口から眺める天妃山

天妃山は「朝日指峰(あさひさすみね)」と呼ばれ、薬師如来を祀ってありました。江戸時代初め、中国(唐)から渡来した高僧心越禅師が西湖永福寺から天妃神を護持。徳川光圀公がここに祀り、磯原、大津の海の守護神としました。この時よりこの山を「天妃山」と呼ぶようになりました。
天保二年、徳川斉昭公が日本武尊の妃「弟橘媛命」を海陸の守護神として祀り、「弟橘媛神社」と改めました。これにより、天妃山は「天妃神」、「弟橘媛」の合祀となっています。
昔は毎夜、堂に灯りがともされ、天妃山は漁船の目印となっていました。
天妃姫・弟橘媛・雄都嘉神社<br>「弟橘媛神社]の石がある入口から軽く登山してくると拝殿があります。

天妃姫・弟橘媛・雄都嘉神社
「弟橘媛神社]の石がある入口から軽く登山してくると拝殿があります。

西山公が座った石(左)<br>徳川光圀(西山公)が座った石があります。

西山公が座った石(左)
徳川光圀(西山公)が座った石があります。

 

茨城百景 包含風景 海水浴場

天妃山山頂から見た海岸

天妃山山頂から見た海岸

二つ岩を中心とした、『磯原二ツ島海水浴場』があります。

 

茨城百景 包含風景 松原と浜街道の松並木

陸前浜街道(国道6号)を北上していくと、海沿いに木々が見受けられます。その前に、五浦(茨城百景 五浦)が繋がります。

 


移設前の茨城百景 磯原海岸の碑

 

茨城百景_磯原海岸 ※3.11被災による移設前

茨城百景_磯原海岸 ※3.11被災による移設前

東日本大震災で、周辺も津波の被害を受けました。
周辺の再整備の結果、としまや月浜の湯〔茨城県北茨城市磯原町磯原〕の駐車場スペースに隣接するかたちで移設されました。