茨城百景 如信上人の墓
茨城百景 名称 | 如信上人の墓 |
読み方 | にょしんしょうにんのはか |
包含風景 | 依上古城址,御神楽石,下金沢八景 |
地域 | 茨城県久慈郡大子町 , JR水郡線 常陸大子駅 路線バスで約20分 |
碑の現存 | 現存する |
実際の碑への記載 | 如信上人の墓 |
説明 | |
関連リンク | ・久慈川灯籠流しの旅19_~奥久慈大子花火大会 190814 ・大子の歴史と奥久慈ウォーキング 050116 ※外部サイトです |
注釈 |
茨城百景 如信上人の墓
如信上人の墓
如信上人が最期を迎えた終焉の地として知られる、真宗大谷派 法龍寺(法竜寺)〔茨城県久慈郡大子町大字上金沢〕。大子町市街地/水郡線常陸大子駅から、国道461号を西へ9キロの場所にあります。
旧大子町立上岡小学校の校歌にも登場する「押川」が流れます。
如信上人は浄土真宗の開祖親鸞聖人の孫にあたります。親鸞の遺命を受けて東国の布教にあたっていました。毎年11月の親鸞の命日には京へ上ることを常としていました。正安元年(1299)も京へ上り、その帰り道に上金沢の地に住んでいた弟子の乗然房信海の家に立ち寄りました。しかし、長旅の疲れからか如信上人は病気となり、翌年01月04日に62歳で亡くなりました。
榧(かや)と銀杏
法龍寺境内には、如信上人が自らお手植えになったという、大子町指定天然記念物である「榧(かや)」(全樹高24メートル、幹周囲長6.8メートル)や、如信上人の13回忌法要の際に、本願寺第三代の覚如上人が植えられたという「銀杏」(全樹高32.5メートル、幹周囲長11.1メートル)があります。
茨城百景 包含風景 依上古城址
平山城の 依上城(よりがみ・じょう)は、大子町市街地/水郡線常陸大子駅から、国道461号を西へ5キロの場所に小高い山〔茨城県久慈郡大子町大字塙〕にありました。
依上城 は室町時代頃の築城と言われ、常陸守護である佐竹氏庶流の依上氏の当主依上顕義が築城したとされています。後に山入氏の血筋(幕府/京都扶持衆側)が入った関係で、対立する鎌倉公方側の佐竹氏と緊張関係になりました。室町時代の応永23年(1416)、上杉禅秀の乱において依上氏および依上城は鎌倉公方の追討を受け、その後落城しました。
茨城百景 包含風景 御神楽石
国道461号から県道158号〔上金沢栃原線〕を南下した相川地区に御神楽橋があり、そこから登る新田山の山中に御神楽石があります。この御神楽石は、御神楽に似ていることから名づけられました。高さ約1.76メートル、下周囲約5.70メートル、獅子頭部周囲約2.97メートル。
茨城百景 包含風景 下金沢八景
大子町の下金沢(しもかねざわ)地区では、茨城百景の包含風景として「下金沢八景」が制定されています。しかし、現時点において「下金沢八景」と称される場所は特定できておりません。
旧上岡小学校で観光客の受付係を務めておられる方(下金沢生まれとのこと!)にもお聞きしましたが、「下金沢八景というのは聞いたことがない。十二所神社ならあります」との回答でした。なお、大子町、常陸大子駅周辺だけでも「十二所神社」は4箇所もあります。