茨城百景 平潟港
茨城百景 名称 | 平潟港 |
読み方 | ひらかたこう |
包含風景 | 八幡神社の眺望,外浜,長浜 |
地域 | 茨城県北茨城市 |
碑の現存 | 現存しない |
実際の碑への記載 | 茨城観光100選 平潟港 |
説明 | |
関連リンク | 六角堂と二ツ島 北茨城の旅 |
注釈 | |
茨城百景 平潟港
茨城県最北の漁港 平潟(ひらかた)、平潟港。
平潟港は西側の八幡神社の断崖と、東側の薬師堂の岩に挟まれた、おだやかな港です。左右の大きな岩により、東日本大震災のときは津波の被害を和らげ、港の被害を軽減させました。
江戸時代、平潟港は棚倉藩の領地であり、東廻り航路の寄港地として栄え、藩の陣屋敷が置かれました。
平安朝の頃、関本里根川沿岸の長良千軒という一部落が洪水のため流され、その難民の一部が今の長浜(当時、長良浜)に住み、天正の頃、この地を開拓しました。平方(後に平泻と改称)と命名し、一団体が独立しました。平泻港は仙台-江戸間の唯一の自然港です。
寛永年間、仙台藩がここを築港し、海路運送を始めました。寛文10年、伊勢国の大富商人河村瑞覧が幕命により仙台荒浜より江戸間の航路を開拓。平泻港に番所を設け、陸奥の国寄りの食糧を敏活にかつ、正確に江戸に運び、忽然として現れた世界一の大都市100万人の江戸の人々を餓死より救うことができました。
河村瑞覧の墓は、鎌倉市建長寺にあります。寛文09年、鎮守八幡神社を現在地に遷座します。
長久保赤水による洞門の碑
平潟港から国道6号に通じる切通は、かつての洞門の跡でした。かつて平潟から九浦に通じるこの道は非常に急で、牛馬も通れないほどでした。
地元民は棚倉藩に願い入れ、約10ヶ月で同門は完成しました。地元民はもちろん、旅をする者にとっても大きな喜びとなりました。
平潟港温泉
平潟港温泉は、茨城県北茨城市平潟町にある温泉です。周辺には温泉をウリにした宿泊施設が点在する、温泉街です。
福島県と茨城県の県境にある、 #二子浦温泉 。
有償で、源泉を持ち帰れるらしい。#令和けんぽくの旅19 pic.twitter.com/XDJPbu7OPr
— 旅人幸甚 @新治郡千代田村 (@brand_kas) May 3, 2019
茨城百景 包含風景 八幡神社の眺望
平潟港西側の断崖上には、八幡神社があります。
茨城百景 包含風景 外浜 (=平潟港?)
北茨城市の海岸線において、外浜と名づけられている浜は確認できていません。あえて言うなら、平潟港に面する浜が該当するかと考えられます。
ここでは暫定として、外浜を平潟港と仮定義します。
茨城百景 包含風景 長浜
茨城百景 長浜は、平潟港から海沿いを五浦方面に南下する際に現れる浜です。