茨城百景 桜川堤と亀城公園
茨城百景 名称 | 桜川堤と亀城公園 |
読み方 | さくらがわつつみときじょうこうえん |
包含風景 | 桜川堤の桜,土浦城址 |
地域 | 茨城県土浦市 |
碑の現存 | 現存しない ※茨城百景の碑が無いことを、土浦市が公式に認めている |
実際の碑への記載 | 茨城観光100選 亀城公園 |
説明 | |
関連リンク | |
注釈 | 茨城観光百選 碑が存在する。 |
#県南の桜福岡堰と桜川堤20 |
茨城百景 桜川堤
茨城百景 桜川堤の桜
茨城県県南地域を南北に流れる桜川。
この桜川の上流は、桜川市の謡曲桜川( 056 謡曲桜川の桜と富谷観音 )として有名。途中つくば市の泉子育て観音慶龍寺( 085 観音と小田城址 )では、慶龍上人が泉(つくば市)の地に寺を建立した動機づけともなった川です。
土浦市、桜川の土浦桜川堤は春、桜の木が桜川沿いを包み込みます。
桜川沿いの約200本の桜の木は明治43年(1910)、行方郡大和村(麻生町→行方市)の住人が、病気全快を記念して桜川河川河岸の道祖神に寄進したのが始まりです。
土浦全国花火競技大会 会場
夏が終わり、秋となる10月第一土曜日、全国に名高い花火師達の競演、『土浦全国花火競技大会』が催されます。花火師たちが腕を競い合い、翌年の仕事を受注する場として機能しています。
土浦駅 列車三重衝突事故 慰霊碑
桜川が上流から下流へ流れ終わる場所。常磐線の橋が架かるJR東日本土浦寮の敷地内には、『土浦駅慰霊碑』があります。戦時中に発生した列車三重衝突事故により、多くの命が亡くなりました。また、戦時中に起きた事故のため、報道規制により事故の情報が表立つことなく消え入りました。
昭和40年。ときの土浦駅長の努力によって事故現場に木碑が建立。後の昭和60年に永久碑が建立されました。
また、この時事故を起こした蒸気機関車「D51651」は、後の『下山事件』(昭和24年/1949)にて当時の国鉄総裁であった下山定則総裁を轢いた同一車両でもあります。
国鉄下山 失踪事件 (下山事件)
茨城百景 亀城公園
茨城百景 包含風景 土浦城址
土浦駅西口から駅前大通(目抜き通り、中央通り)を歩いて行くこと十五分程度、左手に水辺に囲まれた公園が現れます。
亀城公園。
土浦駅周辺の市街地は水位が低く、かつて霞ヶ浦の水をコントロールできなかった時代がありました。たびたび水害に悩まされ、水害によって浮かぶ陸部分と城部分の様子が「亀の甲」のように見えたことから「亀城」公園と呼ばれるようになりました。
本丸跡、二の丸跡が残り、太鼓櫓門、霞門、高麗門などがあります。
土浦市市民プール (廃止)
以前は亀城公園敷地内に市民プールがありました。霞ヶ浦が汚染化され、泳げなくなってしまった時代、子供たちが水泳を楽しむことを目的に設置されたプールでした。
老朽化のため取り壊され、現在は芝生となっています。