第72回土浦全国花火競技大会があった昨日(10/04)は、土浦から帰宅するのが面倒くさくなり、土浦市内に宿泊してしまいました。翌日の今日(10/05)、丸一日予定が無かったので、前から行こうと思っていた霞ヶ浦総合公園に行ってみることにしました。
霞ヶ浦総合公園には、科学万博で使用されたという照明灯が現在でも使われているとの情報をつかんでいたからです。しかし、霞ヶ浦総合公園ではさらに有力なスクープを得ることができました!
08時半に起床。
気がつけば、ここはホテルマロウド筑波(茨城県土浦市城北町)です。
昨日は第72回土浦全国花火競技大会画催されました。土浦市の本年度最後の一大イベントの花火大会を満喫しました。しかしながら、帰りの電車が異様に混んでいたため、帰宅するのを断念し、ここホテルマロウド筑波に宿泊したのです。
昨晩入らなかった風呂に入り、13階のレストランにて、朝食のバイキングをいただきます。
食事もおいしく、眺めも最高。土浦駅市街が見えますし、霞ヶ浦も見える。さらに反対側の窓からは筑波山も見えます(^^)。土浦には、こんなすごいホテルがあったんですねー(^O^)。
ホテルは午前10時が、チェックアウトの時間です。
10時05分前にチェックアウトを済ませ、ホテルを後にします。このまま家に帰るのもいいですが、せっかくですし普段行かないところに足を伸ばしますか・・・。
土浦駅 慰霊碑
まずは前から気になっていた、碑を確認しに行きます。
その「碑」は、常磐線の下り(上野駅方面から土浦駅に向かう)電車左窓側において、桜川を渡りきった後で確認することできます。前から一度は行こうとしていました。
土浦駅西口の前を通り、桜川方面へ歩きます。
桜川が見えたので左に曲がると、例の碑が見えます。
しかし、桜川沿いの道からは、碑がある敷地内に歩み寄ることはできません。近づけるであろう、隣接する寮の敷地内を通り抜けさせてもらいます。寮には受付がありましたが、声をかけても誰も出なかったので敷地を通り抜けさせてもらいます(^^;)。すると、碑がありました。
その碑は、慰霊碑でした。
昭和18年に土浦駅構内で起きた列車3重衝突事故の犠牲者の霊を慰めるためのものだそうです。おりしも時節柄、日本は戦時下にありました。戦時下の報道管制により、この事故の情報は世間に出ることなく、消え入ったそうです(´;ω;`)。
昭和40年。時の土浦駅長の努力により、事故現場に木碑が建立されました。しかし、木碑は風化により碑の建立の由来を知ることができなくなってしまいました。
昭和60年、木碑に代える形で現在の永久碑を建立。今に至るそうです・・・・・・。
うーん、そんな悲しい出来事が、ここ土浦にはあったんですねー(TT)。
前から気になっていた碑のことが分かっただけでも十分な収穫です。慰霊碑と木碑に手を合わせ、現場を後にしました。
霞ヶ浦総合公園
桜側沿いに歩き、霞ヶ浦方向へ歩きます。
JRの鉄橋下をくぐり、水郷大橋の下もくぐり抜け、道路に出ました。そういえば、ここから霞ヶ浦総合公園(茨城県土浦市大岩田)が近いはず。近いとは言っても、徒歩で4~50分かかります。時間もまだ早いですし、霞ヶ浦総合公園に行ってみますか(^^)。
水郷大橋上を渡ります。桜川ではカヌーやボートで釣りを楽しむ人など、休日ならではの風景が楽しめます。「関東ふれあいの道」と書かれたボードを確認し、歩き続けます。
川沿いをぶらぶら歩くと、時折ジョギングをする人が私を追い抜いて行きます。右手には民家や田んぼ、左手は桜川、空は青く、ゆるゆるな気分になります(´=ω=`)ユルユル~。
しばらく歩くと右手に国土交通省の施設が見えてきました。
左手は「霞ポート水門」(昭和54年3月完成)。釣りのポイントなのか、このあたりにはたくさんの釣り人がおります。
道はゆっくりと右手に折れ、桜川は広い霞ヶ浦に出ました。
だんだんと日差しが暑くなってきます。遠くに霞ヶ浦総合公園のシンボルでもある風車が見えます。この場所で半分くらいの距離を歩いてきたようです。
自販機があったので、レモンティーを購入。ところが出てきたのはミルクティーでした・・・(TT)。補充係が製品を間違えたのでしょうか・・・。この辺のだらしなさが土浦的・茨城的でもあります・・・(´TωT`)。
備前川水門の橋を通ると、霞ヶ浦総合公園に到着です。
とりあえずは風車が見えますし、行ってみますか。左手には「国民宿舎水郷」があります。ちらっと、入り口を見ると「第72回土浦全国花火国技大会 表彰式会場」の看板が立っています!! 昨日の花火大会の表彰式がここで行なわれているようです! 全国から花火師さんたちが集まる大会です。地方の花火師さんは日帰りするわけにも行かず、宿泊しないとなりません。その花火師さんが宿泊されているし、表彰式も行なわれるのでしょう。
だめもとで、受付の女性の方に「表彰式を見学することは出来るのですか?」みたいなことを聞いたのですが、「そういうことはちょっと出来ないかもしれませんね」みたいな返事だったのであきらめました・・・(^^;)。
霞ヶ浦総合公園の風車、水車、光の輪のモニュメント
風車に到着。
風車について説明した看板があります。この風車は土浦市制施行50周年記念事業の一環として、霞ヶ浦総合公園のシンボルとなるよう建設したと書いてあります。さらに、霞ヶ浦の水の取り入れ浄化するシステムも装備しているとのこと。
目の前には「水生植物園歩道」があり、植物の栽培実験場みたいな施設があります。広場には「光の輪のむこうに」と題されたモニュメント。モニュメントの輪っかの向こうには、霞ヶ浦が広がります。
霞ヶ浦総合公園内のスポーツ施設
公園内には、スポーツをするための場もあります。野球場やサッカー場、相撲の土俵まであります。この霞ヶ浦総合公園のどこかに、科学万博-つくば’85で利用されたベンチや水飲み場が移設されているという話を聞いていたので、探してみます。
科学万博で利用されたと思われる照明灯
霞ヶ浦総合公園をくまなく歩き回り、これが科学万博で利用された照明灯かな~って推測できたのがこちらです。かっこたる証明はできないのですが、設置年月日から考えると、否定することはできないみたいです。
スクープ:土浦全国花火競技大会のトロフィー
ぐだぐだしながら、公園内を歩き回っています。
再び国民宿舎水郷の近くまで戻ってしまいました。
駐車場の付近を通ると、トロフィーが見えました!(@@)。どうやら、昨日の土浦全国花火競技大会で『昇曲導付 マジカルたまちゃん』を打ち上げた、三遠煙火(静岡県)さんのようです。創造花火の中でも、時事性を追求し、さらにきちんと「たまちゃん」に見えたのが、受賞した理由だと思います(^^)。
土浦駅前に戻る
土浦方面に歩いて戻る元気は無いので、バス停を探し、バスで土浦駅に戻ることにします。水郷プール方面から国道125号線に出て、バス停でバスを待ちます。
土浦 ウララ広場ではシナモンショー
バスに乗って、土浦駅前に戻ってきました。
まだ時間があるので、イトーヨーカドーのウララ広場に行くと、サンリオのシナモンショーが行なわれいました。親子連れで賑わっています(^^)。
司会のおねえさんが、シナモンのお友達の名前を一部、度忘れするハプニングもありましたが(^^;)、それもご愛嬌です。
“オレンジこあみや”と桜橋付近の商店街
亀城公園に向かう前の道中、中央通商店街の「オレンジこあみや」の解体作業が始まっています。一見すると何も変わっていないように思えますが、郵便受けの隙間から内部を観察すると、すでに建物の撤去は終わっており、壁面だけしか残っていないことがうかがえます。
亀城公園
土浦駅から歩いて訪問することのできる、徒歩圏内の亀城公園(茨城県土浦市中央)。観光地なのに、観光地っぽくないところが土浦的ですが、ぜひとも観光地としてもっとアピールして欲しいところです。
西友土浦店跡
再び土浦駅方面に戻ります。
裏道を通りぬけ、西友土浦店を裏側から撮影してみました。西友が閉店してかなりの年月が経ちますが、西友土浦店の建物には新規に店が入ることも無く、更地になることも無く、ただ時を刻んでいます。
西友土浦店周辺は低層住居が密集した土地です。この辺りが良い意味で区画整理されれば土浦駅前に新しい未来が開ける気がしますが、古くから住む住民は必ずしも開発を望んでいるわけではないようです・・・。
それでは帰宅します
そんな訳で、土浦全国花火競技大会の翌日は土浦駅周辺をぶらりと歩いてみました。
ひとつひとつの情報の集まりが歴史を感じさせてくれます。
こうやって振り返ってみるだけでも、「八坂神社神輿巡幸」や「土浦キララ祭り」、「土浦全国花火競技大会」などとは違った魅力が土浦にはあると思いませんか?。
ちょっとだけうれしくなりながら、帰宅するため、土浦駅構内に入っていきました。
【 土浦市街地を初めてじっくり回ってみた話 】
土浦に再び来るようになって3年目。いつもは何かしらのイベントに対しての訪問なので、土浦市街地をじっくりと観察することはありませんでした。
土浦市街地は、今はもう、オレンジ小網屋の建物は無くなってしまったし、西友土浦店もこの後解体され、いまはマンションが建っていますね。
先日、そのマンションのチラシ(たぶん、ポケットティッシュに入れるタイプ)が見つかったので、ここに貼っておきます。
このページは、2003年10月05日に取材した内容に基づき、2004年09月09日に書かれています。本文は当時の原稿を加筆修正している関係で、初出典時と写真や表現が異なる場合がございます。