千葉県銚子市、茨城県波崎町(鹿行):2004年04月10日(土)取材
掲示板でご提案ををいただきました。
輪行で銚子駅に向かう
07時に起床。今日は茨城県最南端の街、波崎町へ行くのです。
青春18きっぷも今日が最終日。今日の利用で、5回分を使い切ります。
折りたたみ自転車を組み立て、最寄り駅まで向かいます。駅のはじっこで自転車を折りたたみ、輪行バックにしまいます。改札で18きっぷの5回目に、ハンコを押してもらいます。自転車(輪行袋)を抱え、ホームまでエスカレータで上ります。ホームは時折強い風が吹きます。
まずは成田線で成田駅に向かう
08時30分電車が入線。常磐線で我孫子駅まで行きます。電車は我孫子駅ホーム6番線に到着します。成田駅方面に行く成田線は4番線。輪行バックを担いで高架橋の階段をのぼり、エスカレーターで降ります。
キヨスクでチョコと缶コーヒーを購入。09時15分、成田線が出発です。成田線の窓の外は自然が多く、これが国際空港に行く路線かと思うとギャップがあり面白い(^^)。
09時58分成田駅に到着しました。銚子駅行きの成田-銚子の成田線は、10時19分に向かいの5番線から出ます。まだ時間がありますので、ホームの柱に自転車をつないでおいて、一旦途中下車をします。
18きっぷを改札に見せ、駅の外に出ます。成田駅の駅舎を撮影し、改札脇のキヨスクでドリンクを購入し、再び改札を通らせてもらいます。電車が入線してきます。レトロチックなブルーとクリーム色の113系です(^O^)。ボックスシートタイプだし、地方路線はこうじゃなっくっちゃね!(^^)v。
入線してきたこの電車は、ここで後ろの車両を切り離すそうです。ふーん、切り離し作業って、土浦駅だけのイベントではなかったんですね~(@O@)。
成田線で銚子駅に向かう
ひとりでボックス席を陣取っては申し訳ないので、2人席を確保。出発を待ちます。
電車内はそれなりに混んでいます。乗車率は40%くらいかしら?。それでも座席には余裕があり、私が2人席を陣取っても大丈夫なほどです(^^)。
およそ1時間20分の間、山の中や田んぼが広がる自然豊かな風景を、電車は進んで行きます。
銚子駅に到着
11時38分、遅れも無く、銚子駅に到着しました。銚子駅はJRとしては盲腸駅です。この先(犬吠埼方面)に進む、銚子電鉄に乗り換えることができるので、厳密には盲腸駅ではありません。
銚子駅のホームと銚子駅駅舎内をたんまりと撮影し、駅を出ます。
駅を出て、はじっこのほうで折りたたみ自転車を組み立てます。
銚子駅で自転車を組み立てる
JR銚子駅の駅前は広いロータリーとなっています。椰子の木などのシダ植物が多く植えられ、“海の町”的な雰囲気をかもし出しています。
駅正面には広い大通りが突き抜けています。その大通りをまっすぐに自転車を進むことにしました。最初の目標は、銚子大橋を渡り、茨城県入りすることです。そうです、忘れそうになっていましたが、今回の目標は「茨城県の波崎町」です。今いるここ銚子は、まだ千葉県なのでした!(^^;)。
駅前の大通りをまっすぐ進むと、広大な海、いや、川に出くわしました。利根川です。この川がもうちょっと写真右手に流れていくと、太平洋につながるのです(^^)。
銚子大橋を折りたたみ自転車で渡る
銚子大橋が左手に見えましたので、銚子大橋の方へ進みます。橋の下まで行き、橋の入り口まで回り込みます。
銚子大橋は、一車線ずつのせまい道路幅しかありません。さらに、歩道部分が狭く、最初は海側にあった金網も、進んでいくと無くなってしまいました・・・。唯一の橋の手すり高さは、自転車に乗っていると、腰下くらいにしか感じられず、かなり怖い(´>ω<`)ブルブル。
撮影しながら5分ほど掛けて、銚子大橋を渡りきりました(==)フウフウ。
波崎町に入った~!
さあ、これからが波崎町です!。
茨城県の最南東に位置する町、波崎町。波崎の町中をまっすぐに1本の道が走っています。これが国道124号線です。さらにひとつ北寄りにも道路が走っています。まずは太平洋側に行ってみようと、街中を走ってみることにしました。
国道から外れてしまった町並みは、ぽつんぽつんとお店らしき建物が並んでいますが、シャッターで閉じられています。中には崩れ、朽ち落ちている建物もあり、だいじょうぶかなーって心配になります(^^;)。
そんな街中を抜けていくと、海が見えました。
海岸沿いを走ります。広大な平地の遠くに、港らしきものが見えたので近寄ります。
だんだんと辺りは魚くさくなってきました。さらに海鳥の鳴き声。そして、海鳥がたくさん辺りを飛び回っています。どうやら、ここが波崎漁港のようです。
さらに北西へと自転車を進めます。
「リゾートインあおの」前を通過。やはりこの辺り特有の?椰子の木が植えられています。南国って感じがしますね~(^^)。
「はさき生涯学習センター」も発見。近くに「はさき おさかなセンター」もあります。が、おさかなセンターのほうは閉まっています。
海岸寄りの道路を進んで行きます。
海は見えず、道路両側とも、みどりに包まれた環境です。ところどころにごみが捨てられており、ちょっと気分のいいものではありません。地元の人が捨てるような気はしないし、海に遊びに来た人たちが捨てていったのでしょうか。
やまこ庵にて昼食
街中を進んでいって、国道124号にぶつかります。12時をすでに回っているし、どこかで昼食を食べたいのですが、これ!といったお店に決められずにいます・・・。しばらくすると、店構えも安心な「やまこ庵」という和風レストランが見えました。ここにしよう!。
店内のテーブル席に案内され、「上ヒレかつ御膳」(1470円:税込)を注文します。お値段がちょっと高い気もしますが、たいへん美味しかったし、こういうときは奮発しないとね!(^^)b。
利根川川辺
しばらく124号線を上って行きます。このまま行っても面白くないので、適当なところで利根川寄りに左折しました。
完全に民家の立ち並ぶ区域です。どんどん進んでいくと、広大な芝生のあるスポーツの広場に出ました。さらに突き進むと、利根川が見え、ベンチがある場所にたどり着きました。
この利根川、都心ではめったに体験することのできない“海辺”ならぬ“川辺”が体験できます。海が近いこともあってか、川辺には貝殻がたくさん落ちています。海のにおいもします。
かもめ大橋を確認
再び国道124号に戻り、北上します。
しばらく進むと「利根かもめ大橋」の看板が見えます。帰りのルートを確認すべく、かもめ大橋のほうへ進めます。かもめ大橋は自転車でも通ることのできる、有料道路です。無料であれ、有料であれ、ここを通ることができれば、帰りのルートがちょっと楽になります(^^)。
かえるの歌が聞こえてくるよ
「利根かもめ大橋」の帰宅ルートを見つけられたので、とりあえず安心。このまま北上することにしました。今度は国道から見て、一本利根川寄りになる道路を進むことにします。
民家もありますが、目立つのは田んぼです。田んぼからはかえるの歌が聞こえてきます(^^)。なつかしいなー。
昔、と言っても20年以上前ですが、私は埼玉県浦和市内谷に住んでいました。そこは辺りが田んぼで、夜になると鈴虫の羽の音や、かえるのぐわぐわっていう声が響いていたんです。今はすっかり集合住宅が建ってしまったり、田んぼは埋め立てられて駐車場になってしまいました。ああ、このかえるの鳴き声、なつかしいな~(´TωT`)。
北上。生活のにおいのする道を進んで行きます。自然がいっぱい。国道から一本はずれた道なので、車の往来も少なく、時間の流れがゆっくりのような気がします。
但馬山の付近まで行って、折り返すことにします。
国道124号に出て、今度は南下しながら戻ります。長い長い国道を南下し、やっとかもめ大橋の看板を見つけます。
かもめ大橋を横断
かもめ大橋へ。
かもめ大橋には料金所が一箇所だけあり、そこで料金を払います。私は自転車なので、「軽車両」扱い。20円です(^^;)。
かもめ大橋は歩道部分の幅が広く、自転車での走行が大変走りやすいです。さらにてすりも銚子大橋より若干高く設計されているようで、これもまた良い。橋の途中で茨城県と千葉県の県境を発見。さらに遠方に、風力発電のプロペラを2基発見してしまいました(^^)。
椎柴駅
かもめ大橋を渡りきり、駅を探します。
GPSを頼りに自転車を走らせます。ここから一番近いのは椎柴(しいしば)駅です。
椎柴駅が見えました。青い壁に重い瓦。とても古臭い駅舎です。
中の窓口は、板でふさがれている無人駅。Suicaにも対応しない改札は、とても懐かしい気がします(^^)。
まもなく電車が来るようなので、急いで自転車をたたみます。
16時26分、銚子方面から電車がやってきました。輪行バッグを担いで電車に乗り込みます。2人席を確保。成田駅まで1時間強、ウトウトしながら電車の輪行旅です。
成田駅で乗り換え。我孫子駅まで我孫子駅行き成田線に乗ります。
【 銚子駅から鹿行方面に訪問した輪行旅 】
先日(2018年12月)、1泊2日のロードバイク旅で、15年ぶりに波崎町(現 神栖市)まで旅に出ました。〔初日:#イナキシシの旅18 / 2日目: #波崎の先の旅18 〕
「波崎の先の旅18」でのスケジュールは、自転車で土浦駅→神栖市市街地→銚子駅をルートし、銚子駅に到着後は輪行で帰宅する行程です。
15年前に銚子大橋を通過したとき、橋の幅が狭くて怖かったことを覚えていたので「旅の最後に、あの銚子大橋を渡るのか~」と少しブルーでした。ところが、銚子大橋は架け替えられていました。新しい銚子大橋は歩道部分が広く、楽ちんでした。
“15年”という、年月の流れを感じました。
このページは、2004年04月10日に取材した内容に基づき、2005年04月20日に書かれています。本文は当時の原稿を加筆修正している関係で、初出典時と写真や表現が異なる場合がございます。