茨城百景 西蓮寺
茨城百景 名称 | 西蓮寺 |
読み方 | さいれんじ |
包含風景 | |
地域 | 茨城県行方市 / 玉造町 |
碑の現存 | 現存する |
実際の碑への記載 | 西蓮寺 |
説明 | |
関連リンク |
070115 豆日刊茨城 茨城百景 西蓮寺
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注釈 | |
茨城百景 西蓮寺
西蓮寺(天台宗)〔茨城県行方市西蓮寺〕は、廃線となった旧鹿島鉄道鉾田線 玉造町駅から県道183号線を南へ6キロ。もしくは、霞ヶ浦大橋の行方市観光物産館から南へ6キロ。左手に「ようこそ 常陸高野 西蓮寺 山百合の里」と記されたゲートが見えます。
延暦元年(783)桓武天皇の勅願により、最澄(さいちょう)の弟子最仙上人が開山したと伝えられ、俗に「常陸の高野山」とも言われています。
鎌倉時代の中頃、比叡山の無動寺から慶弁阿闍梨(けいべんあじゃり)が来て七堂伽藍を造営し、京都の曼殊院(まんじゅういん)の門跡忠尋大僧正が、乱を逃れてこの寺に来てとどまり、曼殊院の額を山門にかかげたと伝えられています。
動画:常行三昧会 西蓮寺〔茨城県行方市〕 #常行三昧の旅19
仁王門と相輪橖
明治時代に火災に遭い、仁王門と相輪橖(そうりんとう)を残して焼失しました。薬師堂、常行堂、鐘楼などは、その後の再建となります。
仁王門と相輪橖は、国指定重要文化財。本尊は、一木背ぐり造の木造薬師如来坐像で県指定文化財。境内の二本の大イチョウは、県天然記念物です。
仁王門
仁王門は天文12年(1543)に建立されたもので、当初は楼門としてつくられました。天正04年(1576)の修理後、寛政年間(1789-1801)に楼門の二階部分を取り壊して山門となりました。その後、安政07年(1860)に現在地に移築され、仁王門に改められました。
相輪橖
西蓮寺の相輪橖は日本三相輪橖のひとつで、弁慶が元寇の役の戦勝記念として弘安10年(1287)に建立したと伝えられています。
※日本三相輪橖・・・ほかに、比叡山延暦寺、日光輪王寺。
慶長09年(1604)、天保12年(1841)、明治36年などに修理され、最近では木芯の腐朽により橖身が傾斜したため、昭和52年に解体修理が行なわれました。
高さ9.16メートル、基壇、橖身、頭部の三つに分けられ、全体として錫杖系をしています。相輪橖は天台宗の象徴とされるもので、比叡山延暦寺、日光輪王寺のものとならび貴重なものとなっています。
山百合の里
7月中旬から下旬に掛け、西蓮寺地区の里山「井上山百合の里」〔茨城県行方市西蓮寺〕にて、約2万株の山百合が咲きます。ふるさと山百合祭りと称し、イベントなども行なわれ、来場者を楽しませてくれます。