令和けんぽくの旅19(3日目)~日立風流物、日立鉱山の歴史クライム、諏訪の梅林と水穴_190504
『 #令和けんぽくの旅19 』の 3日目は、東横イン日立駅前店から始まります。
7年に一度催される「日立風流物 大祭礼」の会場は、日立駅前の平和通りではなく、日立市役所、神峰神社方面にある「大雄院通り」で行われます。
市外、県外から大祭礼を観に来られる方は、「なぜこんな大雄院通りのような、へんぴな場所で大祭礼を行うの?」と思われるかもしれません。
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かつての日立市の中心地は、日立製作所の親とも言える、日立鉱山があった大雄院でした。炭鉱で働く人達は、大雄院や本山(もとやま)地区に住み、生活を営んでいました。今でこそ、大雄院通りは静かな町ですが、当時は活気のある町でした。
大雄院地区には日立鉱山の労働者家族が住み、町を形成しました。地区には、大雄院小学校があった時代もあり、最盛期には1200人の学生を抱えていました。
また、日立鉱山の労働者の娯楽施設であった「共楽館」(今は日立武道館と呼ばれています)では、歌手が歌を歌ったり、演劇が催されたりして、労働者やその家族達を楽しませました。
助川駅(今の日立駅)前からは、 日立鉱山電気鉄道が大雄院地区まで走っていました。鉱物や塩酸(鉱物から銅を採りだすために使用する)などを運ぶほか、大雄院地区に住む住人が乗車できる旅客営業も行っていました。日立鉱山電気鉄道は、最盛期には24時間、電気鉄道は運行営業していました。
しかし、鉱山の時代は終わりました。
日立鉱山で働いていた者は山を下りました。
人が住まなくなった場所は自然に帰っていきます。
本山には大きな映画館(本山劇場)や、本山小学校(=あかさわ山荘)などがありましたが、取り壊され、当時を語るものがなくなりつつあります。
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日立鉱山(県道36号)クライム
その日立の山をクライムしていきます。
赤澤不動尊
もとやま自然の村 キャンプ場
「もとやま自然の村 キャンプ場」は、2014年(平成26)03月31日(月)に閉鎖。
https://www.city.hitachi.lg.jp/statics/hitachiu/1528/p011.html
お食事処 高鈴
本山地区の住居群と映画館への階段跡
かつてこの住居群の裏手の山側に、映画館(本山劇場)がありました。映画館はかなり昔に取り壊され、今は映画館に通じていた「階段」だけが当時の面影を残します。そして、映画館は自然に還りました。
本山の一本杉
「昔からある木を伐採しようとしたら、次々呪われた」みたいな話。
この「本山の一本杉」の話しではありませんが、地元民や関係者たちが「木を切るのが面倒」で、適当な難癖をつけて木を切らないように仕向けた。みたいな話しはあるんだろうな、って思います。
自然に還る本山地区
ぱっと見、ただの山の斜面、自然に見るかもしれません。道路に面して土台が残ります。ここら本山の道路沿いには、日立鉱山で働く者たちの住居がみっちりと建ち並んでいました。今は自然に還っていますが、今も残る土台が当時を物語っています。
あかさわ山荘 (跡)
あかさわ山荘(跡)前。バス停の名に残る、「あかさわ山荘」。本山小学校が廃校となり、その施設が山荘に転用され、宿泊施設として使われていました。2011年頃解体。今は、体育館だけが敷地内に残ります。
日鉱記念館
県道36号的にはほぼ山頂にある、日鉱記念館。GW期間中はお休みです。
敷地内に見える、大きい緑色の鉄塔は、日立鉱山内部に下りるための滑車塔であり、一号鉱山です。日立鉱山で一番最初に利用が開始され、一番最後まで掘られた一号鉱山です。
日立風流物の正午の部が始まるので、今一度、大雄院通りまでダウンヒルします。
大雄院バス停
17年11月26日の「日立鉱山 日製の旅17」のときはまだ、「日立電鉄」の文字が塗りつぶされていませんでした。※iPhoneがフリーズした旅
日立の大煙突と阿保煙突
あの太くて短い煙突が、通称「阿保煙突」。
日立鉱山の煙害に何の役にも立たなかったことから付けられた俗称。その山頂側にある煙突が有名な「日立の大煙突」。日立の大煙突は老朽化で倒壊し、3分の1の長さになってしまいました。
今でもあの煙突から煙が立ち上りますが、とある市民の方から「観光用に煙を出している」と言うご意見も聞いたことがあります。
大雄院小学校 閉校記念の碑
大雄院小学校 閉校記念の碑。
かつて大雄院小学校や、住居があった敷地は現在、JX(旧 日立系列)の工場敷地となっています。
共楽館と大雄院通り の日立風流物
日立風流物
正午の部。
お昼時なので、国道6号の吉野家で頭の大盛りセットをいただきます。
諏訪町の茨城百景包括風景
諏訪神社
昼食後は、日立市諏訪町の梅林を観るため、移動します。
諏訪町の梅林通りに入っていきます。
茨城百景 包括風景 諏訪の梅林と水穴風穴
目的地のひとつである、諏訪梅林に到着。
茨城百景 包括風景 諏訪の梅林と水穴風穴。こちらは、茨城百景 020 河原子海水浴場と水木浜 の包括風景となります。
茨城の自然百選 「高鈴山と鮎川渓谷」の看板。
かみすわ山荘
「高鈴山登山」で調べ物をしているとよく目にする、かみすわ山荘の文字を発見。
かみすわ山荘は、こちら側から訪問するのか~。山荘方面に上っていくと、山の中でひんやり寒い。いや、劇寒。冷蔵庫の中のような寒さです。。
今日は時間がないので、「かみすわ山荘まで2.0km」の看板のところで折り返します。
諏訪の水穴
もう1キロほど山に入っていくと、「諏訪の水穴」。
ここは川本まで下りられます。洞窟があり、奥から水が流れてきます。
諏訪の穴水(神仙洞/しんせんどう)は、諏訪町大平田にあり、普賢ヶ嶽のふもと、緑豊かな木々に覆われた清水湧き出る鍾乳洞です。この水穴には、遠い昔、信州(長野県)諏訪大社の御分霊をこの諏訪の地に祀られた神官万年太夫藤原高利夫妻が自分の木像を造り諏訪神社に納めて水穴に入り、再び帰らなかったという伝説があります。
また、水戸黄門徳川光圀公もこの水穴に入り、洞の狭くなった三の戸に「これより奥には入らぬように」と記されたとも伝えられています。その後、水戸藩の学者や文人が訪れ、名勝として紹介してくれましたので、広く知られるようになりました。ところが、戦後、下流に防災ダムが設置され、水穴は砂利で埋没し、30年もの間、昔の面影を失っておりました。
この間、地元の強い復元運動が起こり、県や市、並びに関係団体のご協力で、このたび水穴は立派に昔の姿に蘇りました。この価値ある天然記念物、史蹟名勝としての「諏訪の水穴」を大切に守っていくことは私たちの責務です。水穴見学の際は、十分安全に注意し、汚したり、傷つけたりすることのないようお願いいたします。
昭和57年04月18日
環境を守る日立市民会議
諏訪の水穴復元記念協賛会
かつては諏訪鉱山の鉱毒水で長く死の川でしたが、閉山後、地元住民の努力で清流がよみがえりました。(茨城の自然百選 P35)
16時から、日立風流物 16時の部がありますので戻ります。
大雄院通りに再び戻る
茨城百景 009 高鈴山ハイキングコース
日立風流物 本町 西町
16時40分からは、西町の日立風流物を拝見。写真は、裏山の風流自雷也。
16時からは、本町の日立風流物を拝見。
神峰神社 神幸行列に遭遇する
本日(05月04日)に宿泊する宿に移動するため、トーヨコインで預かってもらっていた荷物を回収し、移動します。
日立市街地を移動中、日立の町中で、神峰神社に向かうささらの巡行に遭遇します。東町(宮田町のことと思われる)、助川町、会瀬町の順番で並んでいるそうです。
ツーリストホテル日立 に宿泊
今日04日に宿泊する宿はフリーハンドにしておいたため、事前に決めていませんでした。昨晩(03日)のうちに予約した、ツーリストホテル日立さんにチェックイン。日立市街地の中でツーリストホテル日立さんは、初めての宿泊です。
夕食は、カスミで買ってきた見切り品の弁当をいただきます。洗濯もして、明日の最終日に備えます。
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