茨城百景 五浦
茨城百景 名称 | 五浦 |
読み方 | いづら (いずら) |
包含風景 | 岡倉天心の遺蹟,唐帰山,長松寺,大津漁港 |
地域 | 茨城県北茨城市 |
碑の現存 | 現存する |
実際の碑への記載 | 五浦 |
説明 | |
関連リンク | 津波流出前の六角堂 六角堂と二ツ島 北茨城の旅 050811 |
注釈 | |
茨城百景 五浦
常磐線 大津港駅から東へ道なりで直進すること3キロ。天心記念五浦美術館を左折すると五浦海岸に着きます。
五浦(五浦海岸)は小五浦、大五浦、椿磯、中磯、端磯と五つの入り組んだ湾があることから、「いづら」と呼ばれてきました。五浦岬公園の、高さ50メートルもある断崖絶壁からは、赤い「六角堂」(茨城大学五浦美術文化研究所)が見えます。
旧天心邸(現 茨城大学五浦美術文化研究所)にある六角堂(観瀾亭)は岡倉天心先生が設計。天心先生は波に永遠性と絶え間ない変化を同時に認め、宇宙の本質と考えていました。六角堂内で瞑想にふけたり、釣りをしたりしました。2011年03月11日に発生した東日本大震災で、六角堂は津波に流されましたが、茨城大学による「天心・六角堂復興プロジェクト」により六角堂を再現。現在に至ります。(150506)
岡倉天心は明治39年、東京谷中にあった日本美術院研究所を五浦に移転させ、日本美術の革新に乗り出しました。日本美術の近代化と指導、日本の古代以来の文化財の保存修理などに当たりました。
美術院には横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山の四家族も移住。苦闘ののちに、近代美術史に残る仕事をしました。
我が茨城県が産んだ日本画家 #横山大観 先生の旧宅。#日本美術院 #六角堂 #五浦 pic.twitter.com/pMm3ksU0E1
— 旅人幸甚 @新治郡千代田村 (@brand_kas) 2018年10月4日
茨城百景 包含風景 #大日堂
日本画家の巨匠、#木村武山 先生の生誕地。大日堂の天井には「仏画武山」が描かれています。#笠間稲田の軽登山19 pic.twitter.com/cdYjfTuHKB
— 旅人幸甚 @新治郡千代田村 (@brand_kas) 2019年1月4日
茨城百景 包含風景 岡倉天心の遺蹟
天心先生の遺骨は、東京の染井霊園(東京都豊島区駒込)に埋葬されています。
天心先生の辞世とされる「我逝かば花な手向けぞ濱千鳥 呼びかふ聲(こえ)を印にて 落葉に深く埋めてよ十二萬年名月の夜 弔ひ來ん人を松の影」の遺志に沿い、天心先生没後の大正02年(1913)東京染井霊苑から分骨し、近代日本美術黎明の地五浦に埋葬されました。
茨城百景 包含風景 唐帰山
唐帰山(からかいさん)〔茨城県北茨城市大津町〕は、佐波波地祇神社(さわわちぎじんじゃ)が在することでも知られています。
「5年に一度」の「御船祭(常陸大津の御船祭)」は佐波波地祇神社の浜降り神事として伝わり、海の幸を船体一面に描いた神船に神輿を乗せ、大津の町を曳いていきます。
茨城百景 包含風景 長松寺
茨城百景 包含風景 大津漁港
大津漁港〔茨城県北茨城市関南町〕は年間数万トンの漁獲量を誇る漁港です。
幕末の文政07年(1828)、イギリスの捕鯨船員12人が大津港に上陸してきました。水戸藩からは幕府を含め100人近くの兵が出向き、水戸藩の会沢正志、幕府の天文学者高橋作左衛門景保がかけつけました。イギリス船員には食糧を与えて返します。「異人」が上陸したことを受け、徳川斉昭藩主は海防の重要性を認識したとも言われています。
のちの、「助川海防城」築城(天保07年/1836)へと繋がります。