わずか9歳で没した伊奈忠次の孫、忠勝の墓 ~願成寺
「伊奈町」という町名は、つくばみらい市にあるけれど、我がダサい玉県にも「伊奈町」があるのです。
埼玉県北足立郡伊奈町は、東北新幹線や上越新幹線のアクセス駅であるJR大宮駅、大宮市(まちがった、大宮市は今はさいたま市大宮区だった)の北側。さいたま市大宮区の北に上尾市が存在し、さらに北側に「伊奈町」があるのです。
公共交通機関としては、大宮駅から「夢のニューシャトル 埼玉新都市交通」に乗り換えての訪問です。
伊奈町:茨城県つくばみらい市と埼玉県北足立郡の由来
茨城県つくばみらい市の「伊奈町」は、備前守 伊奈忠次の次男、伊奈忠治からついた町名です。
埼玉県伊奈町の「伊奈町」は、伊奈忠次からついた町名となります。
- つくばみらい市伊奈町 → 伊奈忠治 (忠次の次男)
- 北足立郡伊奈町 → 伊奈忠次
伊奈忠次の孫、伊奈熊蔵忠勝
さて、埼玉県の伊奈町には伊奈家の直系である、伊奈(熊蔵)忠勝のお墓があります。
忠勝は、伊奈忠次から見て「孫」になります。
伊奈忠次(埼玉県伊奈町の町名/備前守)
ー忠政(長男/34歳で亡くなる)
ー忠勝(忠政の子、父親が亡くなった時点でわずか8歳!)
この8歳の忠勝も、父忠政から相続した翌年に病死してしまいます。わずか9歳。。。
その9歳で亡くなった忠勝のお墓があるのが、願成寺〔埼玉県伊奈町大字小室〕です。
願成寺へのアクセス
願成寺の最寄り駅は、夢のニューシャトル埼玉新都市交通 丸山駅。
アクセス:願成寺
名称:願成寺
住所:埼玉県伊奈町大字小室字志ノ崎1821
願成寺
願成寺は、浄土宗に属し、八幡山地蔵院願成寺と称する。本尊に阿弥陀如来像(座高一尺五寸)を安置している。
寺記録や関東十八檀林誌などによると、創立は永正02年(1503)如忠上人が小室宿の山中に小庵室(阿弥陀堂ともいわれる)を建てたときとされる。その後、文禄03年(1594)伊奈備前守忠次が当地に移し、寺号を願成寺と定め、勝願寺(鴻巣市)の末寺となった。中興開山は勝願寺中興第二世不残大和尚である。
本堂は、元禄05年(1692)に建てられ、昭和45年改築している。この寺には、伊奈氏の三代目である伊奈熊蔵忠勝の墓(町指定史跡)がある。
また、関東十八檀林誌には、石川五右衛門を捕まえたとの伝説ある仙石越前守秀久(安土桃山時代の武将・1551~1614)が江戸から小室に帰る途中無くなり、この寺で密葬されたと記されている。平成元年三月
埼玉県伊奈町
伊奈熊蔵忠勝の墓(町指定史跡)
願成寺の墓園の中に、伊奈忠次の孫、伊奈家直系の伊奈熊蔵忠勝の墓があります。
伊奈熊蔵忠勝(いなくまぞうただかつ)の墓
忠勝は、伊奈町大字小室字丸の内の地に陣屋を構えて全国の徳川直轄領を支配した伊奈忠次(備前守・代官頭)の孫にあたり、慶長16年(1611)に生まれ、熊蔵の名を世襲した。幼少のときから徳川家光に近侍して相手役を務めていたが、元和04年(1618)父・忠政(筑後守)の病没によって遺領を相続し、幼くして伊奈家の当主となった。 (当時、8歳)
しかし、翌05年08月16日病のためわずか9歳で急逝、法名を「廊然 見桐生蓮信男」と号し、願成寺に葬られた。この墓は、昭和43年03月01日に町指定文化財となっている。
なお。忠勝の没後、領地は没収され、当家は断絶となったが、名門伊奈家の断絶を惜しんだ幕府によって、新たに旧領のうちの小室郷一円の地(丸山村、別所村、小室村〔のちの小室宿村、宿村〕、山田村〔のち本村〕、小貝戸村、中荻村、柴村、我良山村〔のち柄山村〕の八か村 、 石高1.186石余)が忠政の末子(忠勝の弟)・忠隆(5歳)に与えられ、小室に陣屋を置く西伊奈家が復活した。
忠次の代官的権限(いわゆる関東郡代の役割)は、赤山(現・川口市)に伊奈家の別家を創設した忠治が継ぎ、以後赤山に陣屋を置く東伊奈家において、世襲された。
令和02年03月
伊奈町教育委員会
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〔 この項おしまい 〕