全焼した無量寿寺~鹿島鉄道鉾田線の巴川駅から行ったっけ
令和03年(2021)01月21日、衝撃的なニュースが流れました。
🐶無量寿寺ガ‼️
— #鉾田市
【茨城新聞】無量寿寺が全焼 鉾田の茨城県文化財 国指定絵巻物「紙本著色拾遺古徳伝」は無事 https://t.co/tkDj0FwA4s @ibarakishimbunより— 豆日刊茨城 ツイッター ver. (@_ibaraki_news_) January 22, 2021
茨城百景 060 無量寿寺
無量寿寺は、茨城県鉾田市鳥栖にあるお寺です。
「茨城百景 060 無量寿寺」であり、無量寿寺の茅葺きの本堂や鐘楼、山門は茨城県指定文化財にも指定されています。
大同元年(807)、平城天皇の勅願所として建立されました。当初の名前は「無量寺」。承久3年(1221)、親鸞聖人が雲谷から鹿島神宮に参詣する途中で、廃寺同様になっていたこの寺に3年間住み、念仏と布教に当たったと言われています。
阿弥陀仏を自ら刻んで本尊として浄土真宗の教えを広めたことから、「親鸞聖人ゆかりの寺」といわれています。3年間の布教を終えてこの地を去るにあたり、弟子の順信房(じゅんしんぼう)に寺を継がせました。その時に寺の名称を「無量寿寺」としました。
寺宝の『紙本著色拾遺古徳伝(しほんちゃくしょくしゅういことくでん)』は、国の重要文化財です。
令和03年(2021)01月21日午後、火災発生
令和03年01月21日午後、無量寿寺〔茨城県鉾田市鳥栖〕から「本堂の屋根が燃えている」と消防に通報。火は4時間半後に鎮火したものの、本堂〔県指定文化財〕は全焼。住職の住まいなど2棟も延焼しました。
1608年(慶長13年)にも焼失している
無量寿寺 の本堂は1608年にも火災で焼失し、1702年(元禄15)ころに再建されました。
その火災時、国の重要文化財である『紙本著色拾遺古徳伝(しほんちゃくしょくしゅういことくでん)』も被害を受け、焼け残った35枚を一巻としたものが今日まで引き継がれていました。
2006年 鹿島鉄道 鉾田線 で訪問した
無量寿寺〔茨城県鉾田市鳥栖〕へは、2006年(平成18年)に鹿島鉄道鉾田線で訪問しました。無量寿寺への当時の最寄り駅は、巴川駅(と俺っちは解釈していました)です。
鹿島鉄道鉾田線 巴川駅
鹿島鉄道鉾田線 は、翌年2007年(平成19年)03月末で廃線になっています。鉾田線車両に「ガンバレ!かしてつ」と記載があるように、この2006年当時すでに、鉾田線は廃線がほぼ確定していました。
路線バスで無量寿寺に訪問
鉾田線巴川駅近くにバス停「当間(とうま)」があり、その路線バスで無量寿寺に行きました。
今なら、iPhoneなどスマホのMAP GPS機能で位置を確認しながらアクセスできますが、この当時はスマホなどなく、ガラケーのMAPは貧弱でした。下車する位置を印刷してきた地図とガーミンのGPSを見比べ確認し、「感」で下車していました。
無量寿寺 に訪問する (2006)
帰りは鹿島鉄道鉾田線 坂戸駅を利用
無量寿寺からJR石岡駅に戻るために、鹿島鉄道鉾田線の坂戸駅を利用しました。
2017年 無量寿寺にロードバイクで再訪した
2017年(平成29年)のGWに、茨城県内をロードバイクでぐるりと訪問しようと、『 ぐるり茨城17 』3日目に無量寿寺へ訪問しました。
このときはちょっと疲れていたのと、時間が押していたのと、先の紹介のように無量寿寺の境内へは山道を登る必要があったため、入口の訪問のみでパスしてしまいました。。
170505 ぐるり茨城17 (3日目)
茨城百景 无量寿寺 #茨城百景 #無量寿寺 pic.twitter.com/qGn5OOiiRX
— 中国語と日本語でつぶやきます (@tabi_koujin) May 5, 2017
アクセス:無量寿寺
- 名称:無量寿寺 (浄土真宗)
- 住所:茨城県鉾田市鳥栖1013
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… #鉾田市ID
〔 この項おしまい 〕
ニュースを拝聴、拝見した限りでは、関係者の皆様がご無事であったと確認しております。(不幸中の…ではございますが)関係者の皆様がご無事でなによりです。