ほっとパーク鉾田にある、鹿島鉄道の車両 キハ601とKR505

ほっとパーク鉾田にある、鹿島鉄道の車両 キハ601とKR505

ほっとパーク鉾田にある、鹿島鉄道の車両 キハ601とKR505

2007年(平成19年)03月31日、鹿島鉄道鉾田線〔石岡駅-鉾田駅〕は83年に渡る歴史に終止符を打ちました。

鹿島鉄道 鉾田駅で降りる乗客たち。(2007年03月撮影)

鹿島鉄道 鉾田駅で降りる乗客たち。(2007年03月撮影)

鹿島鉄道鉾田線 鉾田駅(2007年03月撮影)

鹿島鉄道鉾田線 鉾田駅(2007年03月撮影)

鹿島鉄道 鉾田線 鉾田駅

名称:鉾田駅
住所:茨城県鉾田市鉾田

日立電鉄線は2005年に廃線になっています
日立電鉄線_最終列車_大甕駅

日立電鉄線_最終列車_大甕駅

この鹿島鉄道が廃線となる、2年前の2005年には、日立電鉄線〔常北太田駅-大甕駅-鮎川駅〕が72年の歴史に終止符を打っています。2000年代は茨城県にとってふたつの鉄道の歴史が終わることになりました。

鹿島鉄道 鉾田駅から大洗に行き、フェリーで北海道にも行った

鉾田駅から大洗鹿島線の新鉾田駅まで歩いて移動し、大洗駅まで移動。大洗フェリーターミナルから北海道へ行く、などという旅利用をしたこともあり、鉾田駅には思い入れがあります。

さんふらわあつくば_深夜便に乗る2004

2017年 旧 鉾田駅跡地に訪問する

鹿島鉄道は2007年の廃線後、鉾田駅保存会により、鉾田駅にて一部車両が動態保存されていました。
しかし2009年(平成21年)、鹿島鉄道側からの契約解除により、車両の移設を余儀なくされます。

2017年、 #ぐるり茨城17 にて、鹿島鉄道 鉾田駅跡に訪問します。

鹿島鉄道 鉾田駅ホーム跡(2017年05月撮影)

鹿島鉄道 鉾田駅ホーム跡(2017年05月撮影)

鹿島鉄道廃線日 鉾田駅ホーム(2007年03月撮影)

鹿島鉄道廃線日 鉾田駅ホーム(2007年03月撮影)

2007年05月、旧鉾田駅跡地に訪問。駅ホームの残骸のみが残ります。

2020年06月 茨城復活旅 → ほっとパーク鉾田へ

新型コロナウイルスの緊急事態宣言が解除され、約3ヶ月ぶりの利根川越え(茨城県入り)。
かすみがうら市の親戚の案内により、車で茨城県内をドライブすることになりました。

鉾田方面に行くことになり、鹿島鉄道の車両が保存されているという、ほっとパーク鉾田に立ち寄ってもらいました。

ほっとパーク鉾田

ほっとパーク鉾田

ほっとパーク鉾田は、15年くらい前に来館、入館したことがあります。
それ以来の訪問になります。(今回は、施設に入館はしていません)

入口は、かつての鹿島鉄道鉾田線鉾田駅を模したモニュメント。

入口は、かつての鹿島鉄道鉾田線鉾田駅を模したモニュメント。

駅名標「鉾田駅」は、かつての本物を使用していると思われます。(2006年06月撮影)

駅名標「鉾田駅」は、かつての本物を使用していると思われます。(2006年06月撮影)

鹿島鉄道鉾田線 車両 キハ601(静態保存)

鹿島鉄道鉾田線 車両 キハ601(静態保存)

鹿島鉄道 キハ601(2007年03月撮影)

鹿島鉄道 キハ601(2007年03月撮影)

鹿島鉄道 KR-505 (2007年03月撮影)

鹿島鉄道 KR-505 (2007年03月撮影)

鹿島鉄道鉾田線 車両 KR-505(静態保存)

鹿島鉄道鉾田線 車両 KR-505(静態保存)

ほっとパーク鉾田

住所:茨城県鉾田市当間

鹿島鉄道の歴史

鹿島鉄道の歴史

鹿島鉄道の歴史

鹿島鉄道は、石岡市のJR常磐線石岡駅から、小美玉市、行方市を経て、鉾田駅を結んだ、全長27キロの民営鉄道であった。

明治後期になると、行方地域を縦貫し鹿島神宮に至る鉄道計画がたびたび提唱された。要村(行方市)出身の実業家で代議士の高柳淳之助を発起人とする、石岡町(石岡市)の有力者らが1921(大正10)年10月12日に行方鉄道株式会社を設立し、石岡ー玉造町間に地方鉄道敷地の免許申請を行なった。行方鉄道に対する免許は同年12月12日に交付され、これにより、1922(大正11)年0月3日に会社設立総会が行なわれ、同日に商号を鹿島参宮鉄道に変更した。

1924(大正13)年6月3日に石岡ー常陸小川間の営業を開始し、ここに鹿島鉄道は産声を上げた。1926(大正15)年8月15日には常陸小川ー浜間を延長開業し、1927(昭和2)年5月17日には、浜駅に隣接する汽船発着場から、霞ヶ浦航路による参詣客輸送を開始した。

さらに、鹿島参宮鉄道は資本金を増額し、行方地方を縦貫して潮来ー延方に至るルートを変更し、北浦に望む鉾田町(鉾田市)を終点とするよう建設方針を転換した。これは、鹿島参宮鉄道が多大な建設費を要する行方縦貫路線の延伸より、最短経路で北浦航路及び計画中の鹿島軌道(大洗ー鉾田ー息栖間)と連絡することで、鹿島参詣客を確保し、かつ鹿島郡役所・警察署・旧制中学校などがあり、発展しつつある鉾田町へ路線を延伸する方が経営上からも得策と判断したものと考えられる。

1928(昭和3)年2月1日に浜ー玉造町間を延長し、1929(昭和4)年5月16日、ついに鉾田までの全線開業に至った。

戦時の交通統制で竜崎鉄道(龍ケ崎鉄道)を合併、1965(昭和40)年に常総筑波鉄道を合併して関東鉄道鉾田線となるが、自動車輸送の発展による収支悪化の結果、1979(昭和54)年4月1日に経営を分離され、関東鉄道の子会社、鹿島鉄道となった。

鹿島鉄道は、葉タバコをはじめとする農作物、航空自衛隊百里基地へのジェット燃料輸送、学生の通学など多くの方に利用されてきたが、営業収入の基幹であったジェット燃料輸送は2002(平成14)年3月限りで廃止され、収支は一層悪化した。

親会社となる関東鉄道をはじめ、茨城県と沿線自治体が財政支援し、列車は何とか運行されてきたが、2005(平成17)年のつくばエクスプレスの開業により、関東鉄道は常総線や自社高速バスの利用者が大幅に減少し減収となったことを理由に2007(平成19)年以降の経営支援を行なわない方針を示した。これを受け、親会社の支援なしでの鉄道経営は無理であるとして、2007(平成19)年3月31日限りで、開業以来83年の歴史を持つ鹿島鉄道の全線で営業を廃止した。

その後、鉾田駅保存会は、この路線で活躍していた2両の気動車(キハ601、KR-505)を鹿島鉄道から購入し、鉾田駅跡地を賃貸して保存活動を行なってきたが、鹿島鉄道側から土地賃貸契約を解消され、設定された退去期限内の移設が困難と判断し、市へ寄贈することになった。鉾田市は、この車両移設に伴う予算を市議会へ提出し、2009(平成21)年7月21日に当該予算が可決され、同年12月24日に、2両の気動車は、鉾田駅跡地から「ほっとパーク鉾田」へ移設された。

平成22年 鉾田市

いばらきだいすき セカンドシーズン

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〔 この項、おしまい 〕