新治村大畑のからかさ万灯と鷲神社

新治村大畑のからかさ万灯と鷲神社

新治村大畑のからかさ万灯と鷲神社

 

毎年、08月15日。茨城県土浦市(旧 新治村)の鷲神社にて、からかさ万灯が行われます。
今年2020年(令和02年)は、新型コロナウイルスの影響で、中止となりました。

 

大畑 からかさ万灯

からかさ万灯(2006年撮影)

からかさ万灯(2006年撮影)

からかさ万灯は元来、干ばつからの被害を免れるための雨乞いの儀式でした。そのため、当初は03月に行わていましたが、五穀豊穣を祈願するための祭りとなり、旧暦の09月17日に行われることが慣習化されました。そのため、不作や凶作の年には万灯祭は行なわれていませんでした。
この万灯祭が県の無形文化財の指定を受けてからは毎年の行事となり、現在では農閑期の08月15日に行われることが慣例となっています。

 

鷲神社

鷲神社 拝殿(2006年撮影)

鷲神社 拝殿(2006年撮影)

鷲神社のある「大畑」は地名からわかる通り、広い畑地で米麦豆類のほか、和紙や楮(こうぞ)、麻の栽培などが行われる地域でした。五穀豊穣や住民の安全を祈願するため、鷲神社が祀られたと考えらえています。また、神社建築物において鎌倉末期から室町時代のものと推定されています。年代の割に保存状態が良いことから昭和62年に新治村(当時)の文化財指定になりました。

 

2006年のからかさ万灯

新治村と土浦市の合併(土浦市に合併される)を記念した万灯祭となりました。

からかさ万灯の準備。(2006年撮影)

からかさ万灯の準備。(2006年撮影)

からかさ万灯の準備。(2006年撮影)

からかさ万灯の準備。(2006年撮影)

 

「祝合併 からかさ万灯」の文字。(2006年撮影)

「祝合併 からかさ万灯」の文字。(2006年撮影)

からかさ万灯(2006年撮影)

からかさ万灯(2006年撮影)

 

からかさ万灯 / 山崎煙火店 (2006年撮影)

からかさ万灯 / 山崎煙火店 (2006年撮影)

からかさ万灯終了後、お花を奪取!

からかさ万灯終了後、お花を奪取!

 

鷲神社へのアクセス

名称:鷲神社
住所:茨城県土浦市大畑

かつては常磐線JR土浦駅からアクセスが主でしたが、つくばエクスプレスの開業により、TXつくば駅からのアクセスも考えられます。

 

 

鷲神社_再建竣功記念碑

鷲神社再建竣功記念碑

鷲神社再建竣功記念碑

 

鷲神社・からかさ万灯 由緒沿革

祭神
天日鷲命(あめのひわしのみこと)
作木綿者神(ゆうづくりのかみ)

本宮
四国徳島市 忌部神社

鷲神社は大畑の地名から見て、広い畑地で米麦豆類のほか和紙や衣類の原料となる楮や麻の栽培がされるに伴い、五穀豊穣や住民の安全を祈願して祭られたと考えられるが、その創建の時期については、この社の建築様式から鎌倉時代末から室町時代と推定される。古文書によると、鷲神社の本殿は慶長08年(1603)に再建されており、その時に本殿入口の左右に設置されていたと見られる象鼻彫刻二体が残されていた。

五年前に消失した本殿の建築様式は欅材を主とした「一間社流れ造り」、屋根は「木羽葺く」であり、その柱二本は美術彫り、海老虹梁や懸魚等は唐草模様が施されていた。棟木には「正徳元卯年霜月吉祥日(1711年11月 天下太平邑大畑」、また、大瓶東北側には、「孫八、是を造る」、さらに、その南側に「與右衛門」と二名の宮大工名が残されていた。この本殿は江戸中期の建築様式で、昭和61年(1986)03月、本殿覆屋を銅板葺とし、棟には堅魚木、千木などの装飾が施されたことにより、優美な姿の本殿として崇められていた。鷲神社はその保存状態が極めて良好であり、文化遺産的価値の高いこと等により、昭和62年02月新治村文化財の指定がなされた。

一方、からかさ万灯は、農作物を旱魃(かんばつ)の被害から護るための雨乞い祈願である。仏教の流れを汲む万灯祭が仕掛け花火「からかさ」に五穀豊穣の祈りを篭めて神社で行なわれるようになったのは、中世以降における神仏混淆(こんこう)の名残といえる。この花火は江戸幕府が方策、悪疫退散、慰霊を祈願したのを嚆矢(こうし)とし、宝暦09年(1759)にはすでにこの地において行われていたとの記録がある。

当時の万灯祭は03月に行われていたが、その後、豊作への謝意を兼ねて、旧暦09月17日が慣習化された。ただし、旱魃などによる不作や凶作の年には行われていなかった。この万灯祭が県の無形文化財の指定を受けてからは毎年の行事となり、現在では農閑期の08月15日か恒例となっている。

万灯祭に関する文化財の指定は昭和37年07月(1962)に茨城県無形民俗文化財、さらに昭和57年12月(1982)に国選択無形民俗文化財にそれぞれ指定されるとともに、昭和47年02月(1972)には新治村から花火筒六筒が有形民俗資料として指定された。

斯かる貴重な文化財である鷲神社本殿覆屋拝殿が平成07年12月23日未明、不審火により消失したことは、氏子一同にとって不測の緊急事態なだけに余りにも大きな衝撃であった。それ故に、崇敬してきた鷲神社の再建は氏子最大の課題となり、その熱意は直ちに鷲神社建設委員会の組織化を計り、浄財の募金活動として展開された。この時期はあたかも日本経済の深刻な低迷期にあたっていたとはいえ、氏子ならびに集落内外の鷲神社崇拝者による再建の強い願いが結集し、見事にその財源を確保する事ができた。寄付期間は平成08年から5年間で、寄付金の総額は現物寄付を含めて約9918万円となり、ここに鷲神社再建の宿願を果たすことができた。これはひとえに氏子を始めとする関係者一同の懸命なご尽力の賜と厚く感謝申し上げると共に、
これを期に、鷲神社をこれまで以上に崇敬され、歴史ある伝統芸能の無形文化財「からかさ万灯」を後世に伝達するため、関係者のなお一層の努力と大畑集落の繁栄を祈願して、ここに鷲神社再建竣功の記念碑を建立する。

平成12年12月吉日(2000)
鷲神社建設委員会

 

 

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