俺の小さな旅 石切山脈と稲田駅
令和02年(2020)03月08日 NHK 小さな旅 「石に生きる 土に生きる~茨城県 笠間市~」で「石切山脈」(いしきりさんみゃく)が取り上げられます。
俺が初めて「石切山脈」に訪問したのは、平成31年(2019)01月04日。
#笠間稲田の軽登山19 〔未更新〕にて、JR水戸線 稲田駅から西念寺、石切山脈、仏頂山、楞厳寺(りょうごんじ)、大日堂、笠間神社と茨城百景および、茨城百景 包括風景を巡った旅でした。
また最寄り駅であるJR水戸線の稲田駅には、古くは2005年(平成17年)に訪問しております。
ここでは、JR稲田駅と茨城百景碑、石切山脈についてまとめてみます。
石切山脈
JR稲田駅〔茨城県笠間市〕から北西へ約1.5キロ。中野組石材工業のロゴがある建物の敷地に、(観光パンフレットなどでよく見る)石切山脈があります。
平成31年(2019)01月に訪問した際は、株式会社想石さんの代表の方が石切山脈について案内をしてくださいました。
- この石切山脈では、もう3年ほど採掘は行なっていない
- そのため、水(雨水)が貯まってしまっている
- 現在はその水をポンプで輩出している
また、山の右手に鳥居があるのですが、その鳥居のある場所が、130年ほど前に採掘がはじまった場所だそうです。
ここで採掘できる花崗岩「稲田御影」は、国会議事堂、大蔵省、上野駅、三菱本社、横浜の住友銀行など、当時の巨大建築物の建材として利用されてきました。
鍋島彦七郎による稲田駅
東京神田で石材店を営んでいた鍋島彦七郎(広島出身)は明治29年(1896)、笠間近郊の稲田地域周辺の土地を買収しました。当時開業していた(今の)水戸線沿線に駅舎 稲田駅 を建て、鉄道会社へ寄贈しました。
採掘場と稲田駅を結ぶ、約2キロの軽便鉄道を敷設。「鍋島線」と呼ばれました。
鍋島彦七郎が作った会社は現在の、株式会社タカタ〔茨城県笠間市〕になります。
石の百年館
「石の百年館」は、稲田石についてまとめられた博物館です。
石の百年館の建物(旧館)は以前、石切山脈近くの場所にあったのですが、2013年の稲田駅駅舎更新の際に、稲田駅に隣接する形で移転し、2014年にオープンしました。
先人たちが100年以上にわたって築き上げた 稲田地区の採石の歴史 を広く後世に伝え、未来に向けて100年先の発展につなげたいという願いがこめられています。
到了稻田站。
以前,在这站之前有茨城百景的碑。因为在这站之前盖石的博物馆,所以茨城百景的碑移动到其他的地方。#稲田駅 に着きました。
以前、この駅前に 茨城百景 碑がありました。駅前に #石の百年館 を建てるため、他の場所に移設されてしまいました。#駅から近い茨城百景の旅18 pic.twitter.com/MvU2ddgc2V— 中国語と日本語でつぶやきます (@koujinn_t) March 18, 2018
JR 水戸線 稲田駅
JR水戸線 稲田駅 は、鍋島彦七郎が 稲田石 を鉄道で運ぶために自ら作った駅。
稲田石の採掘場から軽便鉄道を敷き、この稲田駅まで線路を敷きました。
2013年に駅舎が更新され、翌年、稲田駅に隣接するかたちで「石の百年館」が移転してきました。
JR水戸線 稲田駅 旧駅舎
稲田駅の旧駅舎は、平成14年(2012年)ころまで使用されていました。
茨城百景 稲田御坊西念寺
この茨城百景碑は、稲田駅の旧駅舎時は、稲田駅駅舎に隣接するかたちで建てられていました。現在はこの茨城百景碑があった場所に、「石の百年館」(新館)が建っています。
稲田駅駅舎の改築時の2013年、この茨城百景碑は稲田禅坊西念寺の敷地へ移設されました。
茨城百景 包括風景 石切山脈
JR水戸線 稲田駅から北上し、国道50号との交差点に 茨城百景 「石切山脈」の碑 があります。
この碑は、他の茨城百景の碑とは、大きく意匠が異なります。
〔 この項、おしまい 〕