茨城県土浦市(県南)/ 真壁町(県西):2004年07月25日(日)取材
茨城県県西地域に位置する、真壁町。
真壁町は来年の平成17年(2005)04月以降に、岩瀬町、大和村と3町村合併する予定なので、真壁町としての祇園祭は、今年が最後なのかもしれません・・・。
現在では真壁町に行く公共交通機関が少なく、貧弱です。
昔は筑波鉄道で土浦駅から真壁駅に行く方法がありましたが、筑波鉄道は昭和62年に廃線となっています。現在では土浦駅前のバス停からバスで真壁市街地に行く方法が、一般的かもしれません。
こんなお手紙(メール)をいただいておりました・・・。
今回は、相互リンクの御願いと、7月23日~26日の間に行なわれる真壁の祭を、もしお時間があるようでしたら見学にでも着ていただきたいかと思いました。真壁の山車の引き回しは、真壁の山車がそろって細い道でやるので迫力が全然違います。
(原文ママ・掲載許可取得済み)
真壁市街地までの道のり
うーん、真壁か~(´-ω-`)。
以前に、つくばりんりんロードを岩瀬から筑波まで歩いたとき〔→ 筑波鉄道 岩瀬駅-筑波駅ウォーキング 〕に、寄ったことがあるなぁ~。それに、メールにもあるとおり、『まつりつくば2003(2日目)』で真壁町の山車と踊りを拝見したことがあるなぁ~。
起床は08時30分前。真壁町までの訪問は、時間的に3,4時間くらいかかると踏んでの真壁への旅、出発です。
真壁に行くための、公共交通機関は、たいへん貧弱です。
土浦駅まで常磐線で行った後、関東鉄道のバスに乗って真壁に行くか、水戸線の下館駅、岩瀬駅まで電車で行った後、バスかタクシーで行くしか方法が見つかりません。今から20年も前であれば、土浦駅から筑波鉄道で真壁駅まで行くって方法もあったのですけれど、筑波鉄道は廃線になってしまいましたからね(^^;)。
今回は土浦祇園祭の最終日だし、その足で真壁に行くことにします。
よって、今回の訪問駅は土浦駅です。
昨日と同じように柏駅で電車を乗り換え、土浦駅を目指します。
幸いなことに、今日も白電のボックス席を一人で占拠。ちょっとした旅気分。
左手に関東鉄道のバスを眺め、びっくりガードを越え、桜川を渡ると、イトーヨーカドーのマークが見えてきます。
いつ来ても、ああー土浦に着たんだなぁ~って気分が高まります。
13時30分近くで、土浦駅1番線に入線します。
行事としての土浦祇園祭
土浦駅舎を出ます。昨日と違い、お囃子が聞こえてきません。
昨日土浦祇園祭に訪問した際〔 →平成16年度 土浦祇園祭 土浦八坂神社神輿巡幸 〕の最後、山車が桜町3丁目から大手町のほうに進行していくところまでで、追跡をやめています。そのルートの延長を考えると、山車は千束町、文京町のあたりにいるのかもしれません。
夕方訪問予定の、真壁まで行くバスをバス停で確認し、とりあえず亀城公園のほうまで歩いてみることにしました。
日差しがガンガン。今日も暑いです・・・(==*)フウフウ。
旧・小網屋前の高架橋(土浦ニューウェイ)下のスペースには、御仮屋がそのまま残っていますが、誰もいません。将門囃子杜中の山車も置かれていますが、誰も乗っていません・・・。
そのまま亀城公園方面、中央通商店街をまっすぐ歩いていきます・・・。
亀城公園まで歩いて来ると、やっとお祭りらしい風景に出くわします。
前方から八坂神社の神輿を載せた山車がやってきます。
先頭に天狗(猿田彦)、大太鼓、そして神輿を載せた山車です。
昨日ほど活気は無く、たんたんと行事を行なっている。そんな感じです。
どんどん日差しが強くなっていくなか、土浦市街地を歩き回ります。
風に乗って時おり祭囃子が聞こえてくるのですが、どこに山車がいるのか見当がつきません。たまに、お祭りの袢天を着た人たちとすれ違ったりはするのですが・・・。
分かりにくい筑波、真壁行きのバス
亀城公園前のバス停で、真壁行きのバスを待ちます。
真壁行きのバス時刻表には、“かっこ”で「筑波」と書かれています。この意味が分からずにバスを待っていました。すると、「筑波」と表示されたバスが入ってきます。私は「真壁」に行きたいし、「筑波経由真壁行き」とも書かれていなかったので、乗りませんでした。しばらくしても「真壁行き」のバスが来ません・・・。どうやら、先ほどの「筑波行き」のバスに乗らなければならなかったようなのです・・・(´・ω・`)。次のバスまで1時間程度あります・・・。もっと分かりやすくしてくれればいいのに・・・(T▽T)。
真壁行きのバスにてバスの運転手さんに心配される
土浦駅周辺でぐだぐだと時間を過ごし、15時30分土浦駅前発、真壁行きのバスに乗り込みます。
乗客は私を含め、4,5人といったところです。
土浦の町並みをしばらく進むと、あっという間にあたり一面、緑色の畑や木々に包まれてしまいました。
16時15分頃、旧・筑波鉄道の筑波駅に到着します。
さらにバスは進み、真壁へと進んでいきます。
真壁小学校を過ぎた辺りで、すでに乗客は私一人になっており、誰も乗ってきません。大きなタクシー状態です(TT)。
まあ、何があっても死ぬわけじゃないし、何かあればタクシーで帰ればいいや。それに、どうにも無くなったら携帯だって通じるし、日本語で会話も通じます。「日本語が通じればどうにでもなる」という、腹が据わるようになったのは、生まれて初めての海外『台湾道中記2004』での体験によるところが大きいです(^^;)。今までは「帰れなくなったらどうしよう。。」とか、結構、小さいことで心配していました。でも、海外で日本語も通じず、バスにも電車にも満足に乗ることができないことを考えれば、ここは日本。何も怖いことはありません~(^O^)。
だがしかし、急にバスが止まり、バスの運転手さんが私に話しかけてきました。
乗客の行き先を心配してくれるバスなんて、滅多にありませんね~(^^;)。
16時40分。
筑波鉄道の駅跡地、真壁駅に到着しました。
もちろん(?)、降りたのは私一人。最初から最後まで完乗したのは私だけです~(^^;)。料金は控えるのを忘れてしまいましたが、1200円くらいです。
帰りのタクシーを確保
まずは帰路の確保をしなければなりません。
ここ真壁から土浦駅などに向かうバスは、土日は18時台が最終です。お祭りが終わるのが20時とすると、18時台のバスに乗ることは不可能です。
先ほどのバスから降りる際に、バスの運転手さんにタクシー乗り場があるか確認しましたところ、「目の前にタクシー乗り場がありますよ」とのこと。
タクシー乗り場に行ってみます。
「内田タクシー」さんです。木造建築で作られた建物の中に、タクシーが2台止まっています。運転手さんがいらっしゃったので、営業時間だとか最寄駅だとか、料金だとかをうかがいます。一応、夜中の24時までタクシーを出してくれるとのことですので、ちょっと安心します(^^;)。
地元の家まで帰ることを考えると、20時前後でこちらのタクシーに乗せていただくのがベストのようです。
後ほどお世話になります。とあいさつし、その場を離れます。
筑波鉄道 真壁駅跡
まずは旧・筑波鉄道 真壁駅周辺を撮影します。
すでに廃線となってしまった、筑波鉄道の駅があった場所です。筑波鉄道は何度かの経営企業の変更があった後の昭和62年、国鉄がJRになる直前に廃止されました。数年前までは真壁駅の駅舎があったようですが、駅舎は取り壊され、現在は見る影もありません。線路は撤去され、昨年の2002年にサイクリングロード「つくばりんりんロード(岩瀬土浦自転車道)」として、生まれ変わりました(^^)。
つくばりんりんロードの区間は筑波鉄道のときと同じく、水戸線岩瀬駅~筑波駅~常磐線土浦駅です。
たっぷりと、真壁駅周辺を撮影しましたし、そろそろ真壁祇園祭の様子を見に行きますか~(^^)。
上宿町の山車
街中を歩くと、お祭りの提灯がいたるところに目に付きます。
電柱と電柱の間には、しめ縄がわたらせてあり、紙垂れが垂れ下げられています。
かしゃかしゃと撮影していたら、遠くのほうで交差点を横断する子供山車を発見しました。上宿町の山車のようです。保護者を引率した子供たちが山車につながった綱を引っ張っています(^^)。
こちらの地域の山車の特徴でしょうか、舞台部分が迫り出しているのが面白いです。
子供山車はこの時間で終わりのようで、代表者の方が「これでおしまいでーす。子供たちはお菓子とジュースをもらって帰るようにー」と案内していました(^^)。いつの時代も、子供たちにはお菓子とジュースなのですね~。
仲町の山車
続いて発見したのが、仲町の山車。
こちらが去年のまつりつくば2003に参加されていた山車のようですね。駐車場で休憩しています。
街中には、重要な建物がたくさん立ち並びます。
私の心の故郷、千代田町(千代田村)でさえ、古い建物や自然がどんどん無くなっているのに、ここ真壁には私が見ても「懐かしい」と思えるような建物があちらこちらに立ち並んでいます。
祭りにおける「幟(のぼり)」
こういう地方でのお祭りに欠かせない、「幟(のぼり)」も見ることができます。
私のように知識の無い者が見ると「幟」では、布地の部分が大切な気がしてしまいます。ところが、幟において布地の部分はそれほど大事ではなく、その木(竹)、つまり柱竿そのものが重要だと言われています(´-ω-`)フーム。
成立する商店街
今、地方では“商店街”と言うシステムが崩壊しています。
土地が車社会化(モータリゼーション)し、大手のスーパーや量販店がロードサイド型店舗を拡大展開し、お客さんを根こそぎ持っていってしまいました。その結果、昔からある地方独特の商店街にお客さんが来なくなり、お店をたたみ、いわゆる「シャッター商店街」になってしまった街の事例がいくつもあります。
ところが、ここ真壁では、昔ながらの“商店街”が成立しています。
肉屋さん、酒屋さん、靴屋さん、本屋さん、定食屋さん、カメラ屋さん、などなど。
良い意味で、真壁は都心部分から断絶され、お金に物を言わせる資本主義の大手企業が参入して来ないようなのです。よって、昔からある、“専門店”の集まりである“商店街”が機能しているようなのです。
ああー、こういう街って、不便なのかもしれないけれど、大事だよな~って気がしました(´-ω-`)~♪
「旧真壁郵便局」を発見。
現在は「観光案内所」としての役割を担っているようで、パンフレットなどを配布していたり、トイレも貸し出しています。
高上町の山車
街中をふらふらしていると、3基目の山車に鉢合わせました。
高上町の山車です。新撰組と書かれた看板。上部には新撰組の人形が設置されています。
祭り風景
300円のたこ焼きを食し、ちょっと休憩。
街の中心部にある公民館では、お祭りにあやかって、カラオケ大会が催されています。大人も楽しむお祭りなんですね(^m^)。
真壁の山車に何か起きそうな予感
18時30分。
山車がぞろぞろと集まってきました。いよいよ始まる。そんな感じです・・・。
山車がバックで進んでいきます!(@@)。高上町の山車ですね。昨日の土浦祇園祭で聞いた話では、「山車の進行にはたいへん気を使う」と話されていました。というのも、「(山車の進入角度を誤って)山車をバック(後進)させるのはたいへん(=難儀)だからだ」と言う理由です。
しかし、真壁町の山車では、いきなりバックでの進行を目にしてしまいました・・・(´・ω・`)ナニカオキソウナヨカン・・・。
真壁町には山車が4基あるようです。
新宿町、上宿町(上若会)、高上町(高若)、仲町(仲若会)。
お祭りに欠かせないのが、若い兄ちゃんたちによる、祭りの盛り上げ。
茨城の若い兄ちゃんたちにありがちなのが、ヤンキーっぽいところ。今でこそ見なくなったヤンキーは、茨城には天然記念物的におられるのです。一般的な価値観だと、ヤンキーは“恥ずかしい”と思うのですが、ここ茨城では“ヤンキー”は通過儀礼のひとつなのです・・・(´・ω・`)。
祭りの場では盛り上げてくれるので、貴重な存在です(^^)。
真壁町の山車は、非常にアクティブです。
山車を右に左に振りながら進行してきます。
ゆっくりした祭りだなーと思っていたら、山車がウイリーしながら進んでいたりします(^^;)。かと思いきや、いきなり山車を90度以上方向転換をして、進行したりします。
山車がゆっくり進んでいたと思ったら、急激にダッシュしたりします(@@)。山車がダッシュするなんて、聞いたことも見たこともありません~。
掛け声「わっしょい わっしょい」も神輿を担ぐのなら聞き慣れていますが、山車を押すときに「わっしょい、わっしょい」言うのは、聞いていてたいへん新鮮です(*^^*)。
気が付けば、時刻は20時になろうとしています。
まだ祭りはこれから、という雰囲気です。
しかし、ここ真壁から家までの帰宅は3時間はかかりそうです。
まだ祭りが盛り上がる会場を、後にすることにしました。
タクシーで最寄り駅へ
先ほどの内田タクシーに行きます。
タクシーで送ってもらう先を、土浦駅か岩瀬駅か下館駅と選択肢のあるなか、下館駅に送ってもらうことにしました。
タクシーに乗って真壁のお祭りについて、タクシーの運転手さんと話をしながら下館駅に向かいます。真壁のお祭りは、もともと5基の山車があったとか、昭和40年代くらいまではケンカ山車で山車と山車をぶつけたお祭りを行なっていた、だとか、筑波鉄道がまだ運営していた頃、真壁駅舎がどの辺にあった、だとか、真壁の町並みは重要文化財に指定されていて街の観光資源であるとともに、持ち主にとっては必ずしもうれしいことではないであろう、だとか、街の抱える喜びと悲しみみたいなことを話しました。
およそ20分くらいで下館駅に着きました。料金はおよそ4000円くらい。
まもなく小山駅行きの電車が来るようです。
きっぷを買おうとしていたら、下館駅はsuicaに対応している駅です。
駅舎を撮影し、suicaを自動改札に通し、高架橋を渡ります。
まもなく電車が来る時間でしたが、少しばかり遅れているようです。ドリンクを飲みながら、今日のお祭りを反すうします。
まもなく小山駅行きの電車が来るようです。
きっぷを買おうとしていたら、下館駅はsuicaに対応している駅です。
駅舎を撮影し、suicaを自動改札に通し、高架橋を渡ります。
まもなく電車が来る時間でしたが、少しばかり遅れているようです。ドリンクを飲みながら、今日のお祭りを反すうします。
遅れてきた電車に乗り、小山駅。小山駅で電車に乗り換えます。
大宮駅で遅い夕飯を採るため下車します。
松屋にて牛定を注文。食します。久しぶりの牛定に満足しつつ、帰宅の京浜東北線に乗り込んだのでした・・・。
《 この項おしまい 》
【 真壁は昔も今も、陸の孤島である 】
平成16年(2004)に真壁町にバスで訪問した際、この頃は、常磐線土浦駅から真壁駅(旧・筑波鉄道跡地)まで路線バスが運行されていました。一時期、真壁方面に接続するバスがすべて廃線となり、本当の陸の孤島になってしまった真壁町(桜川市)。
その後、桜川市によって水戸線岩瀬駅や、筑波山口駅(旧・筑波駅)に接続するバスが運行されることになり、現時点(2019)では完全なる陸の孤島ではなくなりました。
茨城のような地方都市ですと、ひとり車一台の時代になっていて、公共交通機関は「学生のため、お年寄りのため」という大義名分でぎりぎりの運行となっています。
ワタクシ幸甚は車を運転しない人なので、真壁は今もかなり遠い存在です。それでも、昨年(2018)の真壁のひな祭りへは公共交通機関で訪問いたしました。(→ #真壁のひな祭りの旅18 )
また最近では、ロードバイクを始めたおかげで、自転車で真壁に立ち寄ることもあります。
茨城百景 傳正寺和真壁城址 #茨城百景 #伝正寺と真壁城址 #ぐるり茨城17 pic.twitter.com/67faNsdBPT
— 中国語と日本語でつぶやきます (@koujinn_t) May 3, 2017
このページは、2004年07月25日に取材した内容に基づき、2004年11月19日に書かれています。本文は当時の原稿を加筆修正している関係で、初出典時と写真や表現が異なる場合がございます。