Twitter社が山野辺義観をパクツイした説 / 助川海防城跡 鳩石 茨城県日立市 平成29年10月
日本人が大好きなSNSのひとつ、『Twitter』。
このTwitter社が、助川海防城〔茨城県日立市助川町〕の初代城主(館主)、山野辺義観(やまのべよしみ)を知っていたんじゃないか!?という説があります。
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時は天保07年(1836)、徳川斉昭は尊皇攘夷のもと、外国船の襲来を監視させるため、太平洋を見渡せる助川村大平の要害山に助川館を建設しました。山野辺義観を海防惣司に任命し、助川居住を命じました。この地を「助川海防城」と言われています。
この山野辺義観は鳩をたいへんかわいがっており、その鳩が死んでしまった際、庭石にその鳩の姿を自ら彫り刻んだ、と言われています。
その石は『鳩石』と呼ばれ、現在も助川海防城跡の一角に置かれています。
『鳩石』に刻まれた、その鳩の姿は、まるで「Twitter」の鳩の姿そのもの。
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おそらく、Twitter社の内部の人間は山野辺義観をリスペクトしており、Twitterのデザインに取り入れたのでしょう。
(個人の私感です)
パクツイにも、ほどがあるぜ。
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